日本とベルギーのつながり | To spread the pride of Japan

To spread the pride of Japan

日本の陰ばかりではなく
光輝く本当の姿を多くの人々に広めていきたい

 
日本とベルギーの話は
1873年(明治6年)から始まる
 
欧州を訪問していた岩倉使節団は
日本より小国でありながら産業を発展させ、
国防を充実させていたベルギーの国王
レオポルド2世と謁見する。
 
 
 
それから20年後
 
1893年(明治26年)
 
岩倉使節団を出迎えた一人
ベルギーのアルべール・ダネタン男爵は
その経歴を買われて日本の特命全権公使に任命された。
 
 
1894年(明治27年)日清戦争が勃発
 
日清戦争に関して、諸外国の新聞は
「日本軍は住民を殺害した」と報じて非難した。
 
しかし、ダネタン公使はこの事件を自ら調査し、
記事が捏造で誤報である事を証明する。
 
「殺された者は軍服を脱いだ兵士達で、住民が殺された事実はない」
 
さらに「日本の赤十字は皇后陛下の支援の下、見事に機能し、
捕虜に対してジュネーブ協定を守っている」と広く世界に広めた。
 
 
ダネタン公使は日露戦争の時にも、
「ロシア兵捕虜が日本軍に虐待されている」という捏造記事を修正し、
公平な情報を発信して欧州列国の誤った対日観を正した。
 
当時の日本人はそのような彼に対し
「日本の名誉を守ってくれたベルギー人」として記憶したのだろう。
 
 
1914年(大正3年)第一次世界大戦が勃発
 
ロシア・フランスと戦う事になったドイツは
フランスを攻撃する為にべルギー領を横切って侵攻しようとした。
 
 
当時、永世中立国を標榜するベルギー国王アルべール1世は
「ベルギーは道ではない、国だ」とドイツの無法な態度に反発。
 
連合国側からの参戦要請も拒否し、終戦まで自国軍だけで戦うも、
国王はフランスに亡命せざるを得なくなる。
 
結果的にドイツ軍により国内は占領されるが、
 
ベルギーが大国の不当に立ち向かい、
果敢に戦う姿勢に日本人は武士道精神を感じ、
かつて日本の名誉を守ってくれたベルギー公使の恩にも報いるべく、
支援の声が沸き上がった。
 
特に大阪朝日新聞(当時はまともだった)は
国王アルベール1世に武士道精神の証である日本刀を献上し、
その後もベルギーの惨状を紹介する記事を連載し、義援金を募った。
 
 
1921年(大正10年)
 
昭和天皇が皇太子だった時、皇室史上初の欧州訪問が実現した。
 
予定は英仏2カ国だったが、
皇太子殿下の希望でベルギー、オランダ、イタリアを追加訪問。
 
ベルギーに到着した皇太子殿下は第一次世界大戦の戦跡を訪れ、戦死者の墓に献花を行った。
訪問が単なる見学ではなく、
第一次世界大戦で祖国を守った兵士達への弔問の意味があるのを知ったベルギー国民は感激し、熱烈的に歓迎したという。
 
当時皇太子だった昭和天皇のイギリス訪問時の写真
 
 
1923年(大正12年)関東大震災が発生
 
死者行方不明者10万人という大惨事となる。
 
関東大震災のニュースは世界を駆け巡り、各国は日本支援に乗り出した。
 
米国が2000万円、英国が400万円の支援。
続いて3番目がベルギーだった。
 
第一次世界大戦でドイツに占領され、独立直後で国がまだ疲弊している状態。
国土面積は日本の12分の1。
 
そのような中、ベルギーの総意として35万円が支援された。
その心意気は日本中を驚かせた。
 
その支援に奔走してくれたのは
ダネタン公使の後任を努めた
アルベール・ド・バッソンピエール大使
 
 
東京都復興記念館にある震災を描いた絵画
 
白い軍服姿は山本権兵衛首相
隣の紳士が震災支援に奔走してくれた
アルベール・ド・バッソンピエール大使の姿
 
実際にこのような場面は無かったらしいが
ベルギーへの敬意と感謝の念を込めて描かれたという
 
 
バッソンピエール大使は大の日本好きだったが、
第二次世界大戦で仇敵であるドイツと日本が
同盟を結んだ事によって国交断絶となり、
失意の中、ベルギーに帰国する事になる。
 
 
 
それから月日が流れ
 
1971年(昭和46年)
昭和天皇が天皇として歴史上初めて外国を公式訪問
 
それはベルギーだった
きっかけとなったのはベルギー国王ボードワン1世からの招待だったという。
 
 
1989年(昭和64年)昭和天皇が崩御
 
164もの国や地域から元首や代表が弔問に訪れた。
 
その筆頭格の弔問客として、葬儀で最上席に着いたのが
ベルギーのボードワン国王だった。
 
ボードワン国王は即位の礼まで参列した。
 
 
 
1993年(平成5年)ボードワン国王が急逝
 
葬儀には天皇皇后両陛下が御参列された。
歴代天皇で外国王室の葬儀に出席したのは初めての事だった。
 
 
その1ヶ月後に、異例中の異例で再度ベルギーを訪問。
両陛下はアルベール国王の即位を直接祝福なされた。
 
 
 
2016年にもベルギー国王夫妻は訪日された
 
 

二人の外交官が日本を愛し、
守ってくれた事で始まった両国の友好は、
それぞれの皇室と王室の絶え間ない交流に繋がった。
 

 



敢然として明治日本の名誉を守った
べルギー特命全権公使アルべ-ル・ダネタン男爵
 
彼は特命全権公使の在任中
1910年7月に東京で死去。
日本とベルギー両国の友好を見守りつつ
雑司ケ谷墓地で眠っている。
 
 
 
その遺志を継いだ
アルベール・ド・バッソンピエール大使
 
 
 
彼の曾孫は駐日ベルギー大使館の
公使参事官として任務を遂行しているという。
 
リストフ・ド・バッソンピエール公使参事官
 
 
 
 

 


 
 
 
以下のサイトの内容を
一部省略し転載させて頂きました
 
ねづさんのひとりごと
 
まぐまぐニュース
 

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.mag2.com/p/news/162826/amp%3Fusqp%3Dmq331AQGCAEoATgB