ユダヤ民族と日本民族の間に、1つ大きな違いがあるとすれば、ユダヤ民族はその長い歴史において、何回も敗北を味わってきたというのに、自らの歴史に誇りをいささかも失うことなく、かえって敗北を忘れないように、進んで記憶することに努めてきたことである。ユダヤ人は頭(こうべ)を垂れることなく、生きてきた。 ラビ・M・トケイヤーが本書のなかでも指摘しているように、それに対して日本民族は先の大戦に敗れたという、たった1回の敗北によって、自国の歴史について誇りを失ってしまった
 
 

事実、日本は一度負けただけで骨抜きにされてしまいました。

強者の顔色を伺い、事なかれ主義で悪を正さず、礼儀作法が忘れられています。

電車内での振る舞い、店員や年長者に対する言葉遣い、対局を見れば、外交関係や政治家の会見等。

子供の目線から考えれば、到底尊敬することなどできない大人が増えています。

日本を内部から腐らせる陰謀説など、色々な話が飛び交っていますが、一人一人が誇りを持って生きられるように努めていきたいものです。