初めまして。
来月より笑下村塾でお世話になります、木下力仁と申します。
(新宿御苑にあるオフィス近くの並木橋にて。撮影者は新社長相川さん。ありがとう)
今回、ブログを書かせて頂くにあたり、
先ず少し簡単な自己紹介をさせて頂ければ、と思います。
本名:木下力仁(きのしたりきと)
生年月日:1992/9/28
出身地:東京都多摩市
最終学歴:明治大学 情報コミュニケーション学部
職歴:東北新社
趣味:読書、映画鑑賞、サッカー、仏教
特技:絵を描くこと
ざっくりこんな感じです。
これから、どんどんブログアップしていきたいと思っています。
自分のことを皆さんに知っていってもらえるよう
面白く、時に熱く文章を書かせていただきます。
今回は、自分の笑下村塾への思いを書かせていただきます。
長くなりますが、最後までお読みいただけると、嬉しいです。
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「力(ちから)持ちで、仁義のある男になってほしい」
両親からの、愛に溢れた、それでいてハイプレッシャーな命名を受け、
僕は25年前に、この世に生まれ落ちました。
僕が生まれて間もなくして、父の中国への転勤が決まり、一家そろって上海へと飛びました。
中国での生活は、それは楽しいもので、物価も、現在とは比べものにならないほど安く、
家では家政婦を雇うほどリッチな生活を送っていました。
誕生日になると、住んでいたマンションの最上階のパーティ会場で、何十人にもの友人たちがプレゼントを持ち寄って来てくれたことを
今でも覚えています。
一方で、当時の上海はインフラが整っておらず、雨が降る度に洪水で、ジャングルクルーズさながらにバスで通学、
なんてこともしょっちゅうありました。
一年中曇り空で、子供たちのズボンからはお尻が丸見えで、トイレの個室にはドアが無かった、あの上海…。
幼稚園から日本人小学校にあがり、一年が経った、というところで父の転勤が解かれ、日本へ帰国しました。
5年間の駐在でした。(この中国滞在中に、弟が生まれました)
日本に帰ってからも、おかげさまで僕は何不自由ない学生生活を送らせてもらいました。
勉強とサッカーと、たまに恋愛と…
大学受験は、早稲田第一志望で華麗に玉砕し、やむなく明治大学へ入学しました。
しかしそこで、特別教授として教鞭を取っていた森達也氏(映画監督)との出会いがありました。
森達也氏
ジャーナリズム、政治、社会問題を彼のもとで学ぶことになります。
この出会いは、木下力仁という人間形成に多大なる影響を及ぼしました。
今までの僕は、好きだからサッカーをして、面白いから映画を観て本を読んで、試験があったから勉強をしていました。
その試験だって、良い大学良い企業に入って、お金を沢山もらって、それで楽しい人生を送るための、道具でしかなかったわけです。
しかし、森先生が繰り出す社会問題のクロスカウンターは、お花畑の僕の脳天を揺さぶりました。
戦争、貧困、差別、死刑、宗教、教育…
この世界、どこをどうとっても、穴だらけじゃないか!
今の僕は、たまたま奇跡的に、その穴に巡り合っていないだけだとしたら?
その穴を作っているのは、他ならぬ無関心な自分たちだったとしたら?
「楽しい、だけでは許されない世界に生きている」
恥ずかしながら、20歳になってようやくこのレベルでした。
それでも僕は、とりあえず森先生のゼミに入って、ゼミ長になって、
色んな勉強をしました。試験のためじゃない、初めての勉強でした。
「楽しい」だけでない世界へ積極的に身を運びました。
右翼の集まりに行ったり、山本太郎さんを議員会館でインタビューしたり、ホームレスの炊き出しをしたり…。
よく分からないながらも、今まで感じ得なかった「危機感」が自分の中で盛り上がっていくのを感じました。
そしてその危機感は、自分だけが持っていても意味がないものでした。
フィールドワークの後は発表会を設け、ゼミ生には共有するのですが、森先生は、口酸っぱく「外に発表しないと」と仰っていました。
今になってその意味がよく分かります。穴だらけな世界を変えていくのは、他ならぬ自分たちが発信していくべきだったのです。
しかしその時は、特に外に発信する機会を持たぬまま、野外活動を終えてしまいました。
そして、就職活動の時期がやってきてしまいました。
僕は、せっかく手に入れたあの「危機感」を失ってしまいました。
目の前に聳え立つ就活、エントリーシート、面接、テストセンター、SPI…
巨大なシステムに自ら飲み込まれてしまったのかもしれません。
あるいは、「危機感」と「それを仕事に食べる」ことが、結び付けられなかったのでしょうか。
結局、「ドキュメンタリーとか作ってみたい」と漠然とした気持ちで受けた
東北新社という映像制作会社に拾ってもらいました。
配属はCM制作の部署で、現場での仕事はつらく大変でしたが、とにかく働く上での体力がつきました。
ガムテープだらけになりながら撮影現場を走り回っていました。
こんな感じ↓自分で描きました笑↓
広告世界における、映像というものの力を、良い意味でも悪い意味でも思い知りました。自ら携わった数秒のコンテンツが、
流れた数時間後には甚大なインフルエンサーとなって世間を動かす様は、見ていて圧巻であり恐怖でもありました。
人の関心、ひいては行動は、こうも簡単に動くものなのか、と。
しかしそれはあくまでもビジネス上、エンターテインメント上のことであって、あの時ぼくが知った大きな「穴」を埋め合わせるような代物では、決してありませんでした。入社して三年が経った頃、少し仕事も落ち着いてきて、いろいろ考えられるようになった頃、
心にずっと引っかかっていた問題が、やはり頭をもたげてきました。
同期と会社で雑談しても、地元に帰って友人と飲んでも、政治、選挙、社会問題、あちらこちらに散らばっているはずの問題を、
誰も話そうとはしません。話したくないのではありません、興味がないのです。あっても話せないのです。
酔ったふりをして「死刑制度の是非」を問うてみたりします。すると、せっかく盛り上がってきた場は急速に冷めてしまいます。
それだけだったらいいものの、誰かが火が付いたように「殺せばいいんだよあんな奴らなんて!」と言い出せば
「そうよ!私たちの税金で生きているなんて!」となり「死んで当然だ!」「それにしても喉が渇いたな!ビール!」
結局スキャンダラスな側面でしか事件に興味が湧かないから、こんなことしか言えないのです。
死刑問題だって、酒の肴くらいにしかならないのです。
僕が特別勉強しているわけでは決してない。ただ、少しの危機感があるだけなのです。
しかし、一人でハラハラしているだけの自分は、
この世界のために、何か行動しているのか?
こういった気持ちを引きずったまま、社会人四年目が始まりました。そんな時、
たかまつななのブログ
https://ameblo.jp/takamatsu-nana/
2018/6/9 「お笑いで日本の教育を変える!本気の求人です」
がFacebookで友人のシェア記事として流れてきました。
不図読んでみました。
ビビッ!ときました-------------------------------
僕はもとよりお笑いが大好きです。
芸人さんでいうと、古今亭志ん朝、ラーメンズ、ダウンタウン、バナナマン…
勿論、我らがたかまつななも!
暗い気持ちも吹き飛ばしてしまう、あのお笑いの力、僕自身何度救われたか知りません。
落ち込んだ帰り道、スマホに映る芸人さんのネタでお腹がよじれるほど笑って、
家に着いた頃には、何に落ち込んでいたのかも忘れてしまう。
そして今現在僕は、そのお笑いのもつ
「更に向こう側の力」
を信じています。
かつて落語は、お上を風刺する側面がとても色濃い芸でした。
お金があまりない庶民も、寄席なら観に行けました。なけなしの小遣いを払って、
すし詰め状態で、立ち見で、柳家小せんや三遊亭圓生といった天才たちの落語を聴いていました。
寄席から帰る人達は、「それにしても今日の小せんも凄かっただなぁ~」
なんて言ったりして、天才たちのネタを噛みしめながら、家に帰っていくわけです。
彼らの中にはおかげでしっかりとした政治への参加意識がありました。最低限の危機感がありました。
それには、落語の「お上の言うことは絶対じゃない」「俺たち庶民がしょい込んじまっている」
という要素が担っていた側面も少なからずあったと思います。
庶民が監視しなくてはならない。という感覚が、自然と人々に根付いていたのです。
笑下村塾は、この落語の持つような、お笑いのパッケージ力を使って「政治参画への意識付け」を実践します。
それだけではありません。
笑下村塾には、さらにもう一つのアイデアがあります。
そのアイデアを持ってして
「更に向こう側の力」
を体現している会社だと知りました。
そのもう一つのアイデアとは、言葉で言うと簡単です。
「希望を持たせること」
です。これは、単なる「風刺」には持ち得ない、この穴だらけの世界が良くなるためのプロセスには必要不可欠な、
素晴らしい、一大プロジェクトだと思います。
お笑いというパッケージで「政治参画への意識付け」をし、それでいて、未来への希望を持たせる。
その希望に向かって、実際どうしていけばいいのか。笑下村塾は、株式会社として運営していきながら、
そんなことを考えている会社です。
あの求人広告を読んで、たかまつななと初めて会って、数ヶ月が経ちました。
彼女の、芸人としてのスタンスが、ネタに込められた思いが、僕にはだんだん分かってきたような気がします。
なぜ彼女はネタで決して人の悪口を言わないのか。
あのネタの姿勢こそ、この会社の理念そのものだと感じています。
我々は、あらゆる社会問題を「自分事化」して監視しなければならない。そのためには、どんな辛い現実にも目を背けず、
真っ向から挑んでいかなくてはなりません。しかしその現実を、ただ罵倒、批判していても仕方ありません。我々は
どんな問題も、笑いで包み込みます。
そしてそれに
希望という花を添えて、
皆様にお届けします。
僕の中の単なる「危機感」が、少しずつ変わってきました。
それが使命感となり、自身の楽しみにさえなってきています。
長々と失礼いたしました。
勢いで書いたらこんなことになってしまいました。
しかしこの思いを、勢いのままで失うことなく、
今後この会社で頑張れたら良いなと思います。
木下力仁を、笑下村塾を、よろしくお願いいたします。
笑下村塾メンバーwith下村健一さん
(二列目左から 下村さん、たかまつなな 一列目左から 新社長相川 木下)