某生命保険会社が潰れたという、衝撃的なニュースが世間を
賑わせたその日、子どもたち2人と私は、長年住みなれた家を
後にした。


上の子を身ごもってすぐに、高速道路と環状道路が目の前を
走るマンションの10階に住んでいたのでは、いくらなんでも良く
ないだろうと、この家を見つけ、引っ越してきたのだった。


まさか、12年後に、こんな形でこの家を去ることになるとは。


でも、本当に、人生はドラマだ、なんてカッコつけて言えるような
状態なんかじゃなかった。


先のことは何も考えられなかったけれど、とにかく、このまま
居てはダメになる。私も子どもたちも。

ただその思いから選んだ結論だった。


夫が使うわずかな家具以外を運び出したあと、
家具や家電の置いてあった部分に沿うように残る埃を
見つめていると、

ここで下の子を出産したことも、
上の子を夫がよく、ソファで自分の脇に置いて寝かして
いたことも、

すべて遠い日の出来事であり、もしかして、それは現実では
なかったのかもしれない、という気さえしてくるのだった。


過去の幸せに涙するような思いは湧いては来なかった。
ただ、淡々と作業をし、これからの事にのみ、意識が行って
いた。



――― とうたんへ 

いつもあそんでくれてありがとう 
でも、もうあそばなくていいよ 
それで とくべつ おりがみをあげるよ!
 
とうたんは やさしいね  
でも かあたんには やさしくしないの?  
とうたん ながいあいだおせわになりました 



6歳の娘がメモ用紙に綴った手紙。


結局、私はこの手紙を夫に渡すことはせず、
今も私の手元にある。


「家庭内離婚」を断り、部屋を出る事を夫に告げ、
引越しの予定を伝えると、夫は、


「こちらが頼んでいるのに勝手に出て行くなら、
お前に渡す金は無い」「子どもたちは可哀想だから、
生活費は渡す」と言い、


相変わらず、「裁判には勝つ、俺は何もしていない」
と強気の姿勢はくずしていなかったが、
「子どもたちに話がしたい」と言って、暴力があってから
初めて、子どもたちと対面したのだった。


「おとうさんは仕事が忙しいから、店のそばに住む。」
「必ず迎えに行くから」
「お前たちの事はいつだってお父さんの頭にあるから」


そう言いながら、夫は目を潤ませたらしい。
らしい、というのは、夫は私の同席を許さず、実家の母
がその様子を伝えてくれたからだ。


だが、暴力を振るった事の経緯について、子どもたちに
一言の説明も無い、というのが、いかにも夫らしくはあった。





夜から行われた引越しは、まるで、近所の目を避けた、
夜逃げのようだった。


夫一人残す、という不自然な出て行き方を、ご近所に
説明できるわけもないからだ。


付き合いのあったお向かいにも、もちろん事情は言えず、
ただ、こどもの学校が一緒の事もあり、あいさつをしない
わけには行かなかったため、「引っ越すんです、近いん
ですけど」「こちらの家もしばらく残しておくんですけどね」
などという、分かりにくい説明しかできなかった。



最後に、積み残しがないかをチェックしに2階へ上がった。
子供と私が暮らした部屋。隣室の夫の部屋はそのままである。


ふいに、初めてこの部屋を見に来た時の事を思い出した。
この部屋の内部を一目見て気に入り、即決した事。


新しく「家族」としてこの家に越してきたときの、あのワクワクした
感じが生々しく思い出された。


その瞬間、私は感情をシャットアウトした。
涙は流さない。私には、まだまだやる事があるのだ。


もう一人の自分に囁かれたように、私は、さっさと
後日処分する物をまとめ、階下へ降りた。




翌々日、役所へ住所変更やらで出かけたあと、せっせと
片づけをしていると、早速、新聞の勧誘があった。


早すぎるっての・・(笑)

その勧誘の男は「さっき、ご主人がいらしてて、言えば
(新聞を)取りますよ、と仰ってたんで~」


「・・・・」

来たのか?ここへ?



どんなアパートに住んでいるか確かめに?

ときどき、夫は不思議な行動を取る。(笑)


そして、位置検索機器ももちろん設置。これからは
夫が帰る時間を気にせず、堂々とTVをつけて
いられるというもの。


そして、何より、引っ越して一番感じたのは、
何ともいえない、重圧からの開放感だった。


疑惑から暴力、そんな中、一つ家で暮らすのは
本当に息詰まるような思いだった。


それが、思い切り深呼吸し、手足を伸ばせる感じ。(笑)

思えば、ずっと以前から、息が詰まる日々ではあったのだが。


朝起きてくれば、言葉をかけるのにも気を使う。
不用意な発言でもしようものなら、執拗に責められ続ける。



もう、それが無い。一切無いのだ。


爽快感。


なんだ、これは。と思った。(笑)


夫の不貞なんて、もしかして、神様のギフト?とさえ思った。


ようやく、私は、夫からの脱走という、長年の望みを叶え
られたのかもしれないのだ。もしかして、これは記念すべき、
素晴らしい人生のターニングポイントなのかもしれない。

そんな気さえする、思いもかけない、別居の副産物だった。



そして、位置検索は私の寝る前の儀式のようになっていた。


家事を終え、明日の準備を終えて、いよいよ始まる、「夫追跡
タイム」・・ある意味、恐ろしい時間ではあるが。(笑)


普段は、何しろ11時に店が閉店してからの行動だから、
追跡は深夜に及ぶため、途中寝てしまうことも多かったり、
携帯端末ゆえ、電波の関係上、地下に居る場合や、電源OFF
のときには読み取れない、という、ハンディを背負いながら、
それでも、私は、毎晩、毎晩、夫の行動を監視し続けた。


別居した後の行動でも、充分、不貞の行為と認められると
弁護士から聞かされ、もう、探偵を雇う金も枯渇し、また探偵の仕事
自体にも信頼できなくなっていた私は、後は自分で何とかするしかない
ところまで追い込まれていた。


私たちが引っ越した後の、最初の店の休業日に、夫は早速、かなりな
遠出を敢行したのだった。


<<遠出な日々>>

まずはありきたりの歓楽街。そこに昼から夜8時すぎまで滞在した夫。

休みの日に、その近くに住む、もと劇団仲間の連中と夫はよく
マージャンをする習慣があった。
よく使う雀荘が、丁度その辺だったから、私は、時間的
にも多分、そこへ行っているのだろうと思っていた。

が。問題は、多分その仲間とのマージャンが終わってからだった。
車がいつも置く駐車場のあたりから動き出したのが午後8時すぎ。

位置検索をかけるたびに、どんどんと距離を伸ばしていくのに
私は驚きを隠せなかった。

一体、どこへ行こうというの?

歓楽街のある場所を抜け、環状道路をひた走ると、高速へ入っていく。
そして、ひたすら東へ向かう夫の車。


そして、車の動きが止まった、その場所は・・・

驚くかな、「海」だった。


「海・・・」


が、そこは、人工海浜で、ショッピングセンターや遊園地も併設された
エンターテインメント施設で有名なデートスポットだったのだ。


そこで位置検索PHSはぴたりと動きを止めた。


10月中旬である。



海を見に行ったのか?


私は、夫の携帯ではなく、以前、2度かけて、2度とも夫と似た
声の主が出た事のある番号へ、思わずかけてみた。


「・・・もしもし」



「・・・・・」

もちろん私は非通知、無言で電話を切った。

だが、紛れも無く、それは夫の声だった。