障がい・てんかん・アラフォー公務員の前向きになるブログ

障がい・てんかん・アラフォー公務員の前向きになるブログ

障がい・てんかん・アラフォーになり何度もヘコんだ私の経験や、自己肯定感を上げるのに役立ったことを書いていきます。コンプレックスを「ウリ(?)」にすることで、読んだ方に勇気や元気を与えたり、「その人生も楽しそうだな」とか思ってくれるようなブログです!!

「将来No.1幸せナビゲーターになる男」桧野健悟(仮)です。

 

一応FP2級に合格していることもあり、今回はお金のことについて思うことを書いてみようと思います。

 

書店に行くと、資産運用の本がたくさん並んでいます。私もとても興味があります。

 

私はお金の勉強をするのが大好きです。

 

見える世界が広がって明るい気持ちになれるんです。

 

勉強の成果が出て資産が増えると嬉しいし安心するし、前向きな気持ちになれますよね。

 

 

 

一方で、お金の使い方を教えてくれる教科書みたいな本って比較的少ないような気がします。

 

お金って貯めるためにあるのではなくて、使うためにあると思うのです。

 

やはり自分が欲しいものやサービスとお金とを交換する。

 

入手したものやサービスを使ったり経験したりすることで幸せになれるのだと思うのです(お金を蓄えることに幸せを感じることもあるでしょうけど)。

 

お金の使い方はその人の価値観そのものだと思うので、正解はないと思います。

 

これがお金の使い方を教えてくれる教本が比較的少ない理由なのかもしれないですね。

 

でも考えてみると、お金を有効活用するのには適切な時期があるような気がします。

 

極端な例をいえば、老後に思う存分海外旅行に行くために資産1億円を目指して節約しながら資産運用していた人が、突然大きな病気になって寝たきりになってしまうことだってあるかもしれないです。

 

老後を待たずに、ある程度お金がたまったら海外旅行に行けばよいと思うのです。

 

 

 

私は生後1か月で脳出血になりましたが幸運にも右半身麻痺のみで生還しましたし、運転中にてんかん発作がきましたが奇跡的に暴走を回避できました(ご興味があれば第1回の投稿をご覧ください)。

 

奇跡的に助かった命を活かせるように(自分も他人も幸せになれるような)、後悔しないお金の使い方をしたい、またそんな人になりたいなと思います。

 

 

「将来No.1幸せナビゲーターになる男」桧野健悟(仮)です。

 

今回は母の日が近いこともあり、母への感謝を書こうと思います。

 

 

 

胎教をはじめ幼いころから寝る前に、母は私に対しクラシック音楽を繰り返し聴かせてくれました。

 

 

私の趣味の1つは音楽鑑賞(とくにゲーム音楽を聴くこと)なのですが、今考えてみると、この幼いころの経験が影響しているかもと思っています。

 

 

生後1か月で脳出血になり幸運にも生還しましたが、右半身に軽い麻痺が残ってしまい、両手でピアノを弾くことはできなくなりました。でも今なら多重録音できる楽器を用いて演奏することができるかもしれないですね。

 

 

たとえばメロディーを左手で弾いたものを録音・録画して、伴奏も左手で弾いたものを録音・録画して、あとで合わせて1人でセッションみたいにするとか。動画サイトに投稿されているのをよく見ますよね。

 

 

多重録音した1人でセッションを投稿するのはやってみたいです!できないと思っていたのは思い込みかもしれないです。

 

 

てんかんの薬の副作用で音感が鈍ってしまいましたが、趣味で音楽に触れるだけなら問題ないでしょう。

 

 

 

第5回までは両親のことをあまり良く思っていないような書きぶりだったかもしれませんが、折に触れて両親への感謝の気持ちが湧いてきます。私は母からの良い影響をたくさん受けているなと感じています

 

 

お母さんありがとうございます!

 

 

 

「将来No.1幸せナビゲーターになる男」桧野健悟(仮)です。

 

今回は第4回の続きを書こうと思います。

 

彼女が婚約破棄をした理由は、私が両親から心理的に独立できていないからでした。

 

 

今考えてみると、彼女との関係を含め新しいことや次のステップに進むときは、障がい・てんかんに逃げ込んで、自分で判断する自信がなかったのだと思います。

 

 

過保護とは、両親の問題だけでなく「どうせ私は両親の助けがないとできない、と子が思い込んでいる状態」なのだと思います。

 

 

彼女との結婚を両親から反対されないようにしようと思っていたけれど、実は自分で自分のことを判断するのが怖かったのかもしれません。

 

 

ひょっとしたらこの婚約破棄は、私に両親との心理的和解をさせるために起きたのかもしれない、と今は思っています。

 

 

私は運が良いので、婚姻届を出す前にそのことに気づくことができたことにしています。

 

 

とりあえず今は、あの婚約破棄は私の幸せのために起きたのだと自分に言いきかせています。

 

 

何事も前向きにとらえ、幸せのほうに意識を向けようと心掛けて生活しています。

「将来No.1幸せナビゲーターになる男」桧野健悟(仮)です。

 

今回は第3回の続きを書こうと思います。

 

交際中、彼女にはてんかん患者であることは伝えていませんでした。

 

第1回で書いたあの発作以降、幸運にも発作は出ていません。

 

てんかん持ちであることを最初に伝えると、これが原因で「門前払い」になることを危惧していました。

 

信頼関係ができてから伝えるのであれば(好きになってくれていれば)、受け入れてもらえると考えていました。

 

 

彼女に伝えるタイミングをずっと悩んでいました。

 

 

私は運が良いので、その彼女は外見もスタイルも性格も私の完璧な好みでした。

 

2人でいられる幸せと嫌われることへの恐怖とがいつも共存していたように思います。

 

障がい・てんかんではあるものの、自分の車であれば運転はできます。

 

彼女を助手席に乗せて美味しいものを食べに行きました。

 

映画も見に行きました。

 

いろんなイベントや観光地にも行きました。

 

きわめて普通のカップルだったと思います。

 

 

 

私がてんかん患者であることを伝えたのは、プロポーズの後でした。

 

彼女は私に不信感を抱きました。でも優しい彼女は、最終的にこれを受け入れてくれました

 

 

彼女が問題にしたのは、私が両親から心理的に独立できていないところでした。

「将来No.1幸せナビゲーターになる男」桧野健悟(仮)です。

 

新生児の時の頭蓋内出血から奇跡的に生き延びた強運の私ですが、右半身にマヒがあります。

 

両親は私を健康に生んであげられなかったと申し訳なく思ったようで、私は愛情をたっぷり受けて育ちました。

 

私が不自由なく生きるため、私の身に起こることを先取りして私の代わりに準備くれていたと思います。

 

自転車に乗れないので、中学生までは私が出かけるときはほぼすべて送迎してくれていました(囲碁を習っていたので、教室まで送迎してくれました)。

 

囲碁の全国大会に行った時も、荷物が重いから大変だろうと言って父同伴でした。

 

両親には今もとても感謝しています。ある程度は仕方ないと思うのですが、いつしか客観的に見ても過保護になっていきました。

 

高校生の時は素行の悪い人に目をつけられないように、大きな駅を避けて通学するよう助言していました(これは障がいの有無と関係ないですよね)。

 

大学生以降も、家に帰ったら常に夕食がある状態でした。私が皿洗いしようとすると、服を濡らして風邪をひくとか、皿を落として割ってしまうと左手が危ないとか・・・。

 

そうするうちに、私も「助けてもらう」「助けてもらわないと」と考えることが当たり前になっていったのです。

 

一方で、車の運転ができるようになり自分の意志で行動できる範囲が広がったこともあって、少しずつ自分のことが自分でできるようになってきていました。

 

両親もそろそろ自分で何でもさせないといけないだろうと思ったようなのですが、そのときには逆に私の甘えが勝っていたように思います。

 

両親が悪いのではなく、私に問題があったと思います。

 

カット野菜の存在を知らず、料理ができないと思い込んでいたこともあって、一人暮らし(いわば過保護からの脱却)したいけど到底できないと考えていました。

 

そんなとき、てんかんを発症したのです。

 

てんかんを発症してからは、発作が起きないよう両親の保護が強くなりました。服薬でコントロールできていても、私は一人暮らしすることが恐ろしかったです。

 

 

 

そんな私が、現在は賃貸物件で一人暮らしができています。これには決定的な出来事があったのです。

 

当時の彼女に婚約破棄されたのです・・・