2022年11月25日(金曜日)

 

昨日の介護認定調査と

今日の家族総出の主治医面談。

さすがに気が張ってたんだろうな。

俺も疲れた。

家族はもっと疲れたやろうな・・・

 

松竹一郎。

 


 

家族を交えた主治医との面談。

結論から言うと、感動的な面談となった。

ドラマどころじゃないよ。

まいったよ。

 

【主治医との面談(外来診察室)】

11月25日(金)11:25

 

約3週間ぶりに見る主治医の顔。

やや緊張しているようにも思えたが、いつもと同じ。

さすがに笑顔はない。

 

病院側のメンバーは主治医と看護師5名。

我々側は私と、嫁、2人の娘と兄の5名。

 

私と主治医が向かい合う形で座り、横に次女が座った。

昨日の介護認定調査の時同様、書記係を務めてくれた。

嫁、長女、兄は診察用のベッドに腰を掛けた。

 

簡単な紹介を終えると、最初から決めていたのだろう、主治医がCT画像が写るモニタを家族の方に向けた。

 

「結論から言いますと、がんの増悪がとまりません」

「とくに首のリンパ節にあるがんが大きく、すでに5センチを超えています」

「エッ!?」という嫁の声が聞こえたような気がした。

無理もない。

家族の前で、CT画像の話をしたことなど、ただの一度もないからだ。

兄には逐一報告していたので、もちろん知っている。

画面をスクロールさせながら、主治医が続ける。

「次に肺ですが、ここにも多くのがんが転移しており大きくなっています」

「肝臓も同様です」

確かに見慣れた親玉の転移がん以外にも新参者が何個か見えた。

「さらにおなかの真ん中の動脈に貼り付いたがんも大きくなっています」

「手の施しようがありません」

主治医が振り絞るように言った。

仕事とは言え、言いにくいことを先に言ってくれた。

あとは、これからどうするかだけだ。

 

主治医の胸中を思って私は早くもウルウルし始める。

主治医の後ろで仁王立ちで立っていた、最初からの付き合いのベテラン看護師の○なさんがちょっと涙目で私を見たが、家族は全員毅然としていた。

 

「次に化学療法について簡単にお話しします」

「松竹さんが続けてこられたゼローダ、アバスチン療法も完全にその効き目を失っています」

「これを継続することはリスク以外の何者でもありません」

「化学療法の限界と判断しました・・・」

 

補足的な説明が続いたが、それを遮り私からの質問に場を移した。

聞きたいことは決まっていたが、念のため昨日の夜にメモ書きしておいた。

 

(1)緩和への移行を決めたポイント

(2)肩の痛みについて

(3)再検査等の可能性

(4)緩和薬について

(5)デカドロンについて

(6)今後と余命について

(7)私の化学療法の総括

 

実際はもう少しフランクな口調ではあったが、内容は正確に記す。

 

(1)緩和への移行を決めたポイント

「やはり、CT画像につきます」

「採血もそうですが、これ以上の治療は危険と判断しました」

 

(2)肩の痛みについて

「おそらく、首のリンパ節の増大が関係していると思います」

「骨転移の可能性は低いと思いますが、ご心配であればMRIを撮ります」

「骨転移であれば痛みは継続し続けます」

 

(3)再検査等の可能性

骨転移もそうだが、胸水、腹水も気になる。

ざっくばらんに聞いてみた。

意外な答えが返ってきた。

「実は12月6日に肝臓の最後の検査があります」

「無理にすることはないと思います。私のほうから先生に中止を伝えます」

「今村医師の顔が頭をよぎる」

「今日はなにもおこないませんでしたが、引き続き検査は継続するつもりです。」

「12月16日には採血もしますよ」

「エッ!?まじ!まだ見てくれるの?」

「緩和医にバトンタッチする気は最初からありません」

「これからも徹底的に付き合います」

最後の面談と思っていたが、3週間おきに続けてくれるんや。

またまた、ホロっとなりそうになる。

 

(4)緩和薬について

しばらくは、オキシコドン、カロナール、デカドロンを中心とした緩和薬の処方継続を確認。とんぷくのオキノームも怖がらず痛ければ積極的に飲んでくださいとのことだった。

ちょっと専門的な話になったが、家族みんな黙って聞いてくれた。

 

(5)デカドロンについて

あきら先生が言ってたのを思いだして聞いてみた。

「個人的に力になってくれているお医者さんがデカドロン、思い切って出してるなぁ」って言ってたけど・・・。」

「おっしゃる意味はよくわかります」

「今回は、ステロイドの怖さより、倦怠感を抑える方を優先しました」

「今後の状況によっては、中止も考えています」

「先生にもよろしくお伝えください」

あきら先生聞いてるか。

 

(6)今後と余命について

で、結局私どうなるんでしょうか?

「がんの進行状況を見る限り、衰弱の進行は避けられないと思いますが、個人差があるので断定的なことはいえません」

「当然、よくなる可能性だってないわけではありません」

「余命も同様。はっきり言って不明です。」

「諦める理由などどこにもありません」

「闘いは始まったばかりです」

 

(7)私の化学療法の総括

これを聞かずして、面談を終えるわけにはいかない。

最後の質問をした。

私がこだわり続けたゼローダ、アバスチン療法についてだ。

「最初はわたしも同意しかねましたが、現実的には進行がんにもかかわらず、これだけで5年延命を果たされた。正直信じられません」

「結果的に、素晴らしい選択であったと思います」

「最初に処方を決めた山田先生、阪大の佐藤教授のバックアップも大きかったと思います」

「私にそれ以上言うことはありません」

よっしゃ!それで十分。もうなにも言うな。

 

「私からの質問は以上です。ありがとうございました。」

 

質問を終えた私は、家族の方を振り向き「先生に何か聞きたいことある?」と言った。

兄が手を挙げた。

私にむかって「ちょっとだけ席外してくれるか?」と兄が言った。

いいよ、いいよ、かまへんよ。一旦診察室の外に私だけが出た。

 

5年も私のがんに付き合わされてきた兄にしてみれば、直接主治医に言いたいことも、もちろんお礼も言いたかったのだろうと思う。

「まさか、このヤブ医者とかいって襲いかかるはずもないだろうし・・・」

 

・・・15分後みんなが出てきた。

晴れやかな顔をしていたのが救いだった。

主治医はどつかれてなかった。あたりまえやけど・・・。

 

最後に主治医と握手をした。

思いっきり握ってやった。

「まだまだ握力も残ってる。俺は負けヘンデ」

 

これが面談の一部始終でした。

 

 

緩和は終末医療などでは決してない。

むしろ新しい闘いとの始まりだ。

俺は必ず勝つ!!

緩和の概念を必ずひっくり返す!!

 

実は昨日の夜、嫁にこっぴどく怒られた。

入院時の病棟の同部屋の爺さんたちのことをおもしろおかしくしゃべったからだ。

ナースコールや、お漏らしの話を。

「ちょっと私のいうこと聞き。」

「誰も好きでお漏らししてる分けと違う!」

「弱者を笑うことは私が許さん!」

「年寄り笑うな、行く道や!やで」

「みんな頑張ってはるんや!」

「もういっぺん言うたらただではおかん!」

「まだまだ感謝の気持ちが足らんねん!」

「散々みんなに世話になっといて!!」

「根性たたき直したる〜!!!」

「さぁいつもの奴、私の前で言え〜!!」

「・・・ツイてる」

「・・・消えてる」

「声が小さ〜〜い!!」

「ヒェ〜!コワイ〜!!」

「うれしい、楽しい、ありがとう」

「そや、忘れるな!」

 

「がんであろうとなかろうと、人間は必ず死ぬ。」

「大事なのは感謝の気持ちを持ち続けることやで。」

「オムツぐらいなんぼでも替えたる。」

「あとのことなんか心配するな〜〜!!」

 

「わかりまちタ〜!」

 

 

何はともあれ今日も元気でヨカッタヨカッタ。

緩和がいったいナンボのもんじゃい!

俺は奇跡のラッキーマンやぞ!

 

では今日はここまで、あ〜りが〜とさ〜ん!♬♪

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松竹一郎。

 

 

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