2017年12月2日

 

 

話は病院のお風呂場でパニックになった日の2日前にさかのぼる。

 

ドレンホースも含めてまだ全身チューブまみれの時、病院主催のちょっと早めのクリスマスコンサートが

 

1階のロビーで入院患者のためにおこなわれた。

 

ロビーと言っても普段は保険証のチェックや入院手続き、会計などをおこなっているスペースを利用したものだ。

 

午前中に病院職員や看護師さんたちが手分けして椅子を並べ替えてくれたらしく、普段は背中合わせに並んでいる椅子がステージに向かって並べ直されている。

 

音響機材もセットされて急ごしらえの割にはいい感じだ。

 

救急を除けば、土、日は病院も休みなので、外来の人はいない。

 

観客は入院患者と病院関係者だけだ。

 

開始予定時間は午後2時。

 

1時を過ぎると午前中に採血や診療、お昼ご飯を終わらせた患者達が三々五々集まってきた。

 

みんなやることがないので集まりは早い。

 

私のようにチューブや点滴をぶら下げた人、パジャマだけの人、車椅子の人、ベッドごと看護師さんに運ばれてきた人、出で立ちは違ってもみんな同じ入院患者だ。

 

もちろん重篤な人は来たくても来られない。

 

1時半には用意された椅子はほとんど入院患者で埋め尽くされた。

 

看護師さんたちはみんな立ち見だ。

 

私は医療カートを引きずっているので、端の方に椅子を持ってきてもらい、そこに腰掛けた。お尻のチューブが邪魔で、やや半身にならざるを得ない。

 

もらったパンフレットによると、コンサートは2部構成でおこなわれるようだ。

 

第1部は市の少年少女合唱団による合唱。

 

第2部は4人組のサキソフォンの演奏だ。

 

もちろんどちらもクリスマスソングがメインとなっている。

 

まわりを見渡すと、みんな笑顔でリラックスしている。

 

看護師さんたちの表情も普段と違って穏やかだ。

 

— コンサートはまもなく始まる —

 

 

思えばあの突然の下血以来、2ヶ月が経とうとしていた。

 

「がん」が見つかってからは、検査漬けの日々が続いた。

 

PET-CTにも行った。

 

8時間にもおよぶ手術も受けた。

 

どれもこれも生まれて初めての経験ばかりだった。

 

 

— 合唱団の少女達がステージの中央に集まってきた —

 

 

私にとってのこの2ヶ月は「絶望」と「希望」の間を恐る恐る進む綱渡りのようなものだった。

 

 

— 歌が始まる —

 

 

まず最初はクリスマスメドレーだ。

 

 

第一声を聞いた途端、不意に大粒の涙が滝のように両目からあふれた。

 

「??」

 

自分でもその意味がよくわからない。

 

 

— 合唱は続く —

 

 

涙の勢いが止まらない。

 

言っておくが私は全然泣き虫ではない。

 

映画で泣いたこともない。

 

なのに「どうして??」

 

 

理由はすぐに解った。

 

 

ずっと、

 

怖かったのだ。

 

辛かったのだ。

 

イヤだったのだ。

 

なにより「死ぬ」のが。

 

 

我慢していたのだ。

 

無理矢理大人の分別で。

 

 

それが歌のせいで「決壊」してしまったのだ。

 

曲目はミュージカル「ピーターパン」の主題歌「君も飛べるよ」に変わった。

 

 

子供がまだ小さかった頃、家族で東京ディズニーランドに行った。

 

日が沈み始めた頃、散々並んだ「ピーターパン」のアトラクションに

 

乗り込む寸前に2人の子供はとうとう寝てしまった。

 

「2時間も我慢したのに」

 

「もう少しでピーターパンに会えたのに」

 

残念だった。

 

でも、それはそれでいい思い出となった。

 

そんな光景を思い出した。

 

 

家族と暮らすごくごく平凡で当たり前な日々。

 

ほかに何がいるのだろう。

 

私はそれを支えるため、働き続けてきた。

 

 

2人の娘は今ではもう立派な大人だが、私にとっては、あの時と何一つ変わりはしない。

 

「がん」を消せば、健康さえ取り戻せば、またいつもの日々に戻ることができる。

 

離ればなれになるのはもっと先でいい。

 

そんな感情がこみ上げてきて、ごちゃ混ぜになって爆発したのだ。

 

そして決壊したのだ。

 

「大粒の涙」となって。

 

 

「とにかく俺は生きている」

 

「本当によかった」

 

 

 

やがて、2部の演奏も終わり、いつもの私に戻っていた。

 

本当にいいコンサートだった。

 

 

 

本文ここまで、明日に続く。

 

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らしからぬ文章になってしまいました。

まだまだ入院生活は続きます。

 

 

 

 

 

◎陽気に行こう

 

アメリカ民謡に「Keep on the sunny side」という歌があります。

これに「高石ともや」という人が「陽気に行こう」と日本語に訳して歌っていました。

 

「ザ、ナターシャーセブン」

 

城田じゅんじのバンジョーと、坂庭省吾のマンドリンが秀逸な「ほっとする」バンドだった。

古い人なら、名前ぐらい覚えておられるでしょう。

坂庭省吾は若くして「がん」で亡くなられましたが、今なら直せたかもなぁ。

 

 

こんな歌詞です。

 

喜びの朝もある

涙の夜もある

 

長い人生なら

さあ陽気に行こう

 

陽気に行こう どんな時でも

陽気に行こう

 

苦しいことは 解ってるのさ

さあ陽気に行こう

 

 

 

そう、「陽気はがんの天敵です」

 

 

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