おはようございます
おかげさまで
順調に6月がスタート☂️
5月中の梅雨入りは
10年振りらしいです!
覚えてないなあ(笑)
梅雨空も見方につけちゃって
皆さん!楽しい6月を!
今日は中部5県全域から
100名が集まる会議
ここ数年WEBだったので
久し振りの対面会議です
夜はそのまま情報交換会
つまり、懇親会です🍻
久し振りに会う同僚たち
花園さんのことで
心配かけてた方も多いので
お話しできるのが楽しみです
皆さんによろしくお伝えくださいね!
そうだ、私も一緒に行こうかな
では、張り切って行こう!
5月26日(金)
今日は大きな総会を主催
中部地方に拠点がある
官民35事業者の代表者が
顔を合わせる重要会議
例年、名古屋で開催ですが
今年はWEB開催です💻
大きな会場の準備も要らず
事務局7人の席だけ準備
コロナ禍に継続して
盛大な懇親会も無しです
モニターに向かって
作成したシナリオ通り
淡々と説明して、質問を受け
次々と審議を進めます
無事に全議案が可決され
滞りなく総会終了!
コロナ産物の合理化
テレワークやWEB会議が
当たり前となって
働き方改革が大きく前進
一方で、やはり対面でないと
(懇親会🍻付きで🤭)
お付合いが希薄になりますね
さて、
5月の大きなイベントは
これで終了です
お疲れ様でした!お疲れ様でした!
5月27日(土)
素晴らしい晴天
朝いちで洗濯して🧺
その後は一日中家籠り
6月は研修仕事が2件
資料の〆切が迫ってるので
今日は黙々とテキスト作成💦
平日は時間が無いので
毎回休日に作業します
途中、息抜きにバスケ観戦🏀
Bリーグ ファイナル初戦⛹️
千葉ジェッツの冨樫のプレイ
とても刺激になりました!
私も元気貰った❣️田臥が解説だし❣️❣️
仕事に区切りをつたら
気持ちにも区切りをつけるめ
夜はシネマテークへ🚶
ついに、ついに、ついに
7月で閉館が決まりました
またひとつ
ミニシアターが閉館
青春の灯が消えます
今夜の上映作品は
アレクサンドル・ソクーロフ
『独裁者たちのとき』
感想はひと言
「吐き気がした」ぎゃー
シネマテーク閉館にあたり
自分にとっての
大切な場所の喪失を
振り返ってみました
1991年
愛知県図書館【移転】
1996年
名古屋球場【移転】
2000年
Electric Lady Land【移転】
![四角オレンジ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/530.png)
2023年
劇団avecビーズ【解散】
名鉄レジャック【閉館】
名演小劇場【閉館】
名古屋シネマテーク【閉館】
2023年は際立ってます
やはりコロナの影響かな
5月28日(日)
天気が良かったので
東区の徳川園へ🚶
尾張徳川家の邸宅跡です
黒門を抜けると
花園さんの大好きだった
スモークツリーが絶好調
紫陽花も華やかです
奥に見えるのは観仙楼
結婚披露宴の歓声が響くも
苦にならず幸せの御裾分け
目的地は菖蒲田
江戸古花など67品種
1700株の花菖蒲が見頃に
和傘のお披露目
風情ある日本の美ですね
昨日から花菖蒲祭り開催中で
とても賑わっていました♪
花菖蒲より私の方が注目されてない?
気にしない気にしない(笑)
睡蓮も可愛いですね
午後になると閉じちゃうので
朝から来て良かったです
奈良の西大寺を思い出すね
都会に遺されたオアシス
Bリーグ ファイナル第2戦
琉球が初のチャンピオンに🏆
勇気と元気パワー
たっぷり貰いました
💃🕺
最高最高
完璧完璧
楽しく楽しく
おまけ
2015年12月29日 16時20分に妻がスマホのメモアプリに残したものです。
妻が肺腺がんステージ4の診断を受けたのは2015年12月24日でした。
その5日後に妻がスマホに記したメモです。
そんな頃から妻の気持ちは固まっていた様です。
やっぱりね、流石です。
この後、楽しく、明るく、美味しく、前向きに、約6年間を精一杯生きました!
最後まで、基本的にこのメモに記した気持ちにブレは無く、しっかりと自分の気持ちを伝え、皆さんに理解され、本人が言っていた様に、本当に幸せだったと思いますが、それは妻の人柄と、信念と、努力と、人一倍人を思いやる心があったからだと思います。
妻を見習って、限りある時間を大切に、悔いなく、1秒でも無駄にしないようにしたいです!
照れるからやめておくれー
💁♀️一年前を振り返る
「日記⭐︎序章」の続き20
各務十千代
別に変化の無い毎日だった。
ただ、その間にも、血液検査の結果だけは良かったり悪くなったり絶えず動いていた。
病気をしていると、考えることが無いし、何か夢中になる事っていうのも少ない。
だから、自然と大人の会話に敏感になる。
検査の結果に対しても、どれ位までが正常で、どれ位になるといけないのか。そういう事までもが自然に分かる様になってしまう。
カルテが置き忘れてある時とか、それを開いてよく見ていた。
それを見て、何度泣いたかなあ。
でも、あの頃の私の悩みは、それ位で済んでいた。それ位だった。
そんな事の繰り返しの中で、「私は、本当に病院という所から出られる日が来るのだろうか。」と思っていた。
先生が、その事に気付かれたのは、いつ頃だっただろう。