1週間ばかりこんな生活を続けたが、どうも目覚めは良くならない。

 

そういう時は数日でも良いから環境を変える事が大事だ。

 

僕は今こそ、ある方の遺言を守る為るべく北海道に向かう準備を始めた。

 

かつて「シュンはワシの息子や」そう言って、可愛がってくれた人が居た。

 

大手企業の役員を歴任した故・榊洋一翁を僕は「オヤッさん」と呼ばせてもらっていた。

 

オヤッさんは過去に5回も結婚したが、子供は居なかった。

 

因みに最後の奥さんはオヤッさんより二十歳も若い。

 

僕が榊家に始めて伺ったのは秋祭りの時期だった。

 

大阪の、特に泉州地方では「だんじり祭り」が多数の地域で執り行われる。

 

「岸和田のだんじり祭り」が特に有名で毎年テレビでも取り上げられる。

 

僕が育った堺市も各地でだんじりがあった。

 

僕はサラリーマン時代に深井のとあるショットバーで以前から顔見知りだった女性に

だんじり祭りの期間に是非うちに遊びに来て欲しいとお誘いを受けた。

 

この女性が榊洋一翁の奥さんだった。

 

榊家はだんじり祭りの2日間に200人近い人が出入りして食事をし、酒を飲むのだという。

 

僕はこういう時に軽々しく「行けたら行きます」などと口には出さないように気をつけていた。

「行けたら行く」という人はまず来ない事を知っているし

「行く行く詐欺」は大変失礼な事だと考えていた。

 

「是非お邪魔させて頂きます。当日は少しお手伝いをさせて下さい」とご返事をし、電話番号を交換した。

 

古参達から新しい仲間として歓迎してもらうには、まずはその姿勢を見てもらう事が大切だ。

だから祭りの当日は、しっかりお手伝いさせてもらって

その後でしっかり飲み食いさせて貰う事にした。

 

祭りの当日は昼間にホームセンターでマイエプロンを買い

それを持参して榊家の門をくぐり、開けっ放しの玄関で勢いよく

「こんばんは!」と言い放ち中に入った。