北新地に向かった。今夜は社長の行きつけの店からのスタートだった。私自身はこの店から独立した女の子の店をメインに利用させてもらっていた。ここへ来るのは久しぶりだ。
「いらっしゃいませ!あ、社長さん!…あら!古賀さんもご一緒なのね?久しぶりじゃない!お元気?」
「ママ、すみませんね。随分とご無沙汰させて頂いて」
「だけど話はチーちゃんから聞いてるわよ。ご贔屓にして下さってるんですってね」
「そうなんだよ、独立して最初は心細いだろうと思って。そのまま居ついてしまったね」
「古賀も自分だけの場所があった方が接待もやりやすいからな。そもそも俺が居たんじゃ気を使って酒が不味くなるだろ!ワッハッハ!なぁ?」
「いやいや、私もたまには社長とご一緒させて頂きたかったんですがね。私だって話を聞いてもらいたい時はありますよ」
「さ、お二方を奥にお通しして!」
実に良い店だった。このママに育てられた女の子達は、独立した後どの店も繁盛していた。通されるのはいつもの社長の席だ。恐らく専用席と言っても良い程だ。そして席に着きおシボリを受け取る。
「考えてみればいつも俺ばかり話していたなぁ。今日はたっぷり聞くから何でも話してくれ」
「はい、今日はたっぷり社長に甘えさせてもらいたいと思います。そう言えばママは『大ママ』になったんだってね」
「そうなの。ワカちゃんが独立するんじゃなくてこの店を背負いたいって言ってくれて。私ももう還暦でしょう?いつまでお店に立てるか分からなかったから」
ママを襲名していたワカちゃんが大ママに続いて席に着いた。
「身寄りもなかった私を拾ってくれたのもママだし、今生きているのもママのお陰ですもの。こんな華やかな世界で一流の皆様に贅沢をさせて頂いて…。私がこのお店を引き継いで、ママの老後は私が全て面倒を見させてもらうって決めているんです」
「ね、ここまで言ってくれるんだもん。それならもうワカちゃんに任せようって思って」
「さて皆さんお酒はお揃いですかね?乾杯!」
「乾杯。そうか…ワカちゃんも幾つになった?」
「もう、駄目よ。女に年齢を聞いちゃ。まぁ、そんなワカちゃんももう四十路になるのよね」
「ママ!そんなにはっきり言わないで~!」
「ハハハ!どうせ俺達は古い付き合いだから計算したらすぐわかるよ!」
「それにママはワカちゃんだぞ!ね?大ママ?」
「そうよ!後は私、お迎えを待つだけだから。頑張ってね!」
和やかだった。家に帰ってきたような感覚にも通じる雰囲気があった。大ママは若い時から大企業の社長の女だった。その時に全てのお膳立てをされて北新地にクラブを持った。まだ彼女が二十代の時だった。そしてその社長の本妻さんが亡くなり、後妻となったが店を続けた。本妻の子供達とはきっちり話もついていた。「決して財産目当てではない。ただ最後を看取らせて欲しい。主人没後は一切の財産を相続せずその権利を放棄する」として夫婦生活をしている。店では未だに独身という事になっていた。これは私や社長を含め一部の古い常連達だけが知っている事だった。
「旦那さんはお元気かな?」
「いえ…八十三だもの。もうお酒も飲まないし、最近は足腰も弱くなってしまったのよ。主人が七時頃に眠るから、そこから一気に支度してお店に来るの。今度、朝は主人が早いでしょ?私は寝ないで起きて待って一緒に朝食を取って。その後よ、少し眠るのは」
「藤永会長ももう八十三歳か…大豪傑だったなぁ。会長と居合わせたら俺達までご馳走頂いたものだった」
「賑やかな事がお好きでしたものね」
「家事もこなしてるの?」
「そこまでは無理よ。お掃除、お洗濯はお手伝いさん。お食事も平日は料理人さんが作って下さるのよ。助かるわ」
「それじゃあ、土日は作るんだね」
「たまには私が作ってさしあげたくて。料理人さんが作った方が美味しいとは思うんだけど。私達同郷だから、地元の郷土料理とかね」
「そうか。なかなかゆっくり出来ないね」
「この歳になって漸く捕まえた女の幸せだもん。ゆっくりなんか出来なくても良いわ。私は今本当に幸せなの」
大ママはとても満足そうだった。もう十年以上ママを見てきたが還暦近い今が一番美しいとさえ思えた。
「ただね、ワカちゃんには理解ある人にそろそろ貰って頂けないかと思っているのよ。今ならまだ赤ちゃんも産めるかもしれないし」
「そうだな、ワカちゃんは今誰か良い人居ないのか?」
「居ないの。私も時々は彼氏が居るんですけどね。何かタイミング逃しちゃった。お金持ちの『外の女』も寂しいし、まだまだこれからの若い人だと頼りなくて。この歳になっちゃった」
「もし…誰か良い人が居たらどうする?」
「そりゃあ、まずはお付き合いしたいわ。その上で結婚出来るか考えます。だけど私のこの生活を受け入れてくれる人なんているかしら。奥さんなんか出来っこないもん」
「古賀、どうだ?誰か良い男はおらんか?」
「そうですね…。ワカちゃん、この際時間かけてお付き合いとか言わずに見合いしてみないか?」
「え!お見合いですか?」
「うん。時間をかけるから余計に駄目な事もあるんだよ。『えいやぁ!』って感じも必要な時があると思わないか?」
「あら良いじゃない!古賀さんがご紹介下さる方ならきっと素敵な方よ」
「一度会うだけ会ってみたらいいよ。断る事は出来るし」
「そうね、古賀さんも大ママもそう仰るなら…お受けします」
「よし、分かりました。何とか一肌脱ぎましょう。年下の男なんかどうだい?」
「えー!年下ですか?」
「うん、それもサラリーマンの」
「想像もつきませんわ」
「今まで年上の男ばかりと付き合って来たんだろう?」
「そうね…。年下は一人も居ませんでしたわ」
「それにお金持ちばかりと付き合って来たんだろう?」
「お出会いする方がそういう方ばかりなんですもの」
「それで上手くいかなかったんだから、逆に年下のお金持っていない人を選べば良いんだよ。お金を持っていないと言っても人並みには稼いでいる堅実なサラリーマンだ。そもそもお金なら君が自分で稼ぐじゃない。時間を取りやすいサラリーマンの旦那さんに家事を手伝ってもらえば良いんだよ」
「…面白い発想ですけど、そんな都合の良い方がおられるかしら?」
「目標が定まったら後は探すだけだよ!」
「じゃあワカちゃんの旦那さん候補は古賀に任せるとして、何だ?話と言うのは」
「込み入った話は後程場所を変えて。じゃあワカちゃん、うちの営業でうってつけの奴がいるんだ。家事を完璧にこなすどころかもう、一人暮らしのプロみたいな奴でね。自分で弁当作って来るレベルだよ!」
因みにこの時代に「弁当男子」などという言葉は存在しない。料理が得意な男も現在程の高評価はなかった。好景気だったこの時代、料理が得意というより料理の美味い店を沢山知っている方が男としての評価の対象だった。
一通り盛り上がったところで丁度良い時間になり、席を立った。基本的に社長も私も、一つのクラブでの滞在時間は長くても二時間以内と決めていた。これがスマートな大人のルールというものだ。
