http://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S12854964.html?_requesturl=sp/articles/DA3S12854964.html&rm=150

実感がなくとも忘れられない出来事である。

当時、彼女と一緒にいるときにこの地震が起きた。
ことの大きさを知ったのは少し後である。

何か出来ないか何か出来ないか、と思いながらも自分のことで、身近なことで精一杯だった。それすらもままならないほどだらしのない生活を送っていたことに気がついた。

今思うと、その時になんとなく考え方が変わった気がしなくもない。
身近な人も守れないのに多くの人を守れるのだろうか。
自分の幸せも掴めていないのに人の幸せの力になれるのだろうか。
人の幸せが自分の幸せといってしまえばそれまでかもしれない。しかし、何をするにも力が必要。
財力、人脈、コネクション、行動力。
当時は何も持っていなかった。

今は違う。
何かをできる基盤を持っている。
偽善者ではないが人の助けになれる。
うまく言えないけど、この地震は多くの人を多くの意味で巻き込んだものだったのかもしれない。

ひどい二日酔い+仕事に追われる等々理由は数あれど、3日坊主ならぬ2日坊主となってしまった。。。

 

継続は力なり、とは本当ですね。

http://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S12847296.html?rm=150

 
いいことを喜ぶことは簡単。
悪いことにどれだけ向き合い、改善できるか。
今も昔も、いいことを誇張して悪いことに対して向き合うことはどうやら軽んじられがちのようである。
 
仕事中、自分の中間的な立場もあってどうしてもいいことばかりを報告したくなる時があった。
もちろん悪いことも報告するのだがいいことでそのことを覆い隠すかのように。
しかし、しばらくたってその考えは変わった。
この記事で言う堀氏のようにいろいろな疑問を投げかけ続けてくれる上司がいたからに他ならないが、いつしか意識が変わり悪いところに向き合えるようになった。
ものごとを前進させるにはやはり、現実と向き合い改善を繰り返していく必要があった。
ほんの些細なことでも、そのままにしておくと取り返しのつかないことになってしまう。
こういった実感があるのは恵まれているのかもしれない。
 
いいところをのばす、いわゆる「ゆとり」の教育を受けていた僕。
もちろんこれ自体が悪い事とは言いいたくない。
しかし上の世代の人たちと比べてもしかしたら悪いことに向き合う力は弱いのかもしれない。
 
意識次第で、特に仕事の中においては変えていける部分なのでこれから入ってくる後輩たちにもこういった力を付けられるようにやってあげるのではなく一緒にやっていきたい。
 
という決意表明になってしまいました。笑
http://digital.asahi.com/sp/articles/DA3S12845515.html?rm=150

小さい時から読書が大好きだった。
今でもそれは変わらない。
が、実際読んでいないのが現実。

ふと誰かに言われて始め、高校生半ばまで続けていた新聞の社説?などを読んで自分の感想や意見を書くという作業をしてみる。
簡単で毎日できる気分転換にもなりそうだからだ。
ぞっとした。
まず、文を読んで理解するということができなくなっている。
正確に言えば、ものすごく時間がかかる。1つの文章を読むことに、だ。

やはりこう言った脳みそは使わなきゃどんどんくたびれていくのだなーと実感する。
しかし、悲観的な実感ではなく縦書き・横書きの文字列に問わずしっかりと理解して読むことをあまりにおろそかにしていたことによる弊害の発見がなんか嬉しい。

仕事以外でも、簡単なことから毎日思考しながら生活していこう!と思った。
そういったこともつらつらと忘れないように書き留めていく為にどこでも出来るこの媒体を選んだというわけだ。

という備忘録兼誰かに聞いて欲しい長めの独り言笑


 

まじかるクラウン Q1.ニックネームは?

しょうた

ラブ Q2.最近のマイブームは?

備忘録をつけまくること!

バナナ Q1.好きな食べ物は?

オムライス

 

 

熊しっぽ熊からだ熊からだ熊あたまクマムシくん音符