せっかく公式ブログが開設されたし、より多くの人にわたくし翔太とはどんな人間なのかを知ってもらいたいと思い自分史を書いて人生を振り返ってみたいと思います。

今年で30歳になるし、節目の年って感じもしますので。




私、鈴木翔太は1988年8月10日に東京都三鷹市で鈴木家の長男として生まれました。

生まれた時はやや体重も少なめくらいだったのかな?
まぁ平均的な赤ちゃんだったみたいです。

両親の話だとビックリするくらいハイハイが速かったらしい。

そのハイハイで上半身を鍛えたからか子供の頃から肩幅は広かったのではないかと家族では言われています。
コンプレックスに感じていた時期もあったりしましたが、体がデカく見えるのは今となっては非常にプラス。

たくさんハイハイしてくれてありがとう!翔太赤ちゃん!


実家は二世帯住宅で2階に自分たちが住んでいて、1階にはお父さん方のおじいちゃんとおばあちゃんが住んでました。
毎日1階に遊びに行くおじいちゃんおばあちゃんっ子でした。

時代劇にハマり、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に夜にTVで「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」を見て、その後は新聞紙を丸めた刀でおじいちゃんと時代劇ごっこ。
2階からお母さんが「もう帰ってきない!」って言いに来るまで永遠と戦い続けていました。

子供のスタミナって無尽蔵ですからね。
今思うと良く付き合ってくれたなーと。
おじいちゃん、ありがとう。

公園行って遊ぶのも好きだったし、友達も何人かいたりしたんですが、ものすごーーーく人見知りでした。

習い事を始めようとしても泣くは泣くは。
幼馴染みが体操教室に行ってたので一緒に行ってみたりしましたが初日に教室ついた途端に「嫌だー!帰るー!」と泣きじゃくる。

幼稚園の入園式はお父さんお母さんがいてくれたからなんとか大丈夫でしたが、次の日はお母さんが幼稚園まで送ってくれるけど帰ってしまう。

いやー、泣きました泣きました。
ハッキリと記憶に残ってるくらいですからね笑


最初は嫌がっていた幼稚園でしたが、友達が出来てから楽しくなったようで泣いたりしなくなりました。

幼稚園が公園に隣接していたため、幼稚園終わってからも5時のチャイムが鳴るまで遊んでました。

ウルトラマンごっこやドラゴンボールごっこが多かったかな。

ウルトラマンごっこならセブン、ドラゴンボールごっこならピッコロかトランクス。
仮面ライダーごっこだとV3をやってたかな?
戦隊ヒーローごっこではグリーンかブルーでしたね。

幼少期から前には出ずに主役にはなりたがらないポジションだったわけですね。


そんな脇役好きなちょっぷり泣き虫で人見知りな翔太くんは普通に公立の小学校に進学します。

小学校編はまた次回!