生死に関わるような重病になった時に所属のお寺に願い出ると、本山から下付される「小さな和紙の欠片」です。
熱心な信徒であれば、水に溶いて飲めば病気が治癒するといわれています。
私は三度ほど見た事がありますが、効果の程は皆無だったと言い切れます。
ここでは詳しくは申し上げませんが。。
病気で身体も気持ちも弱っている方につけ込むような、民間療法よりもさらに悪質なものと考えます。
一宗教団体が、医師でもないのに医療的な事に絡むのは怪しい新興宗教と等しいのではないでしょうか。
それに、そんな紙切れでは病は治りませんよね。


また知人から、御秘符にまつわる話を聞いた事があります。

とある日蓮正宗の信者の人が、気付いた時には既に末期の癌という状態で、みるみるうちに痛みで動く事も覚束なくなり
意識が混濁する事もありながらも、生きたいと願い、親族に進められてその御秘符を飲んだそうです。
が、やはりその効果は無く、その後まもなく意識は遠のき、
周りの親族や知人はますます自宅や所属寺で何時間も治癒を祈念して唱題、丑寅勤行に励みましたが、その甲斐なく
病院のベッドで家族の誰にも看取られる事無く亡くなられたのだそうです。

まさに最期の時に、家族は皆で御本尊に向かい一心不乱に南無妙法蓮華経と唱え、病室に病魔と闘う人を一人残し、
こうして病院とは言えども家族に看取られる事なく、一人で亡くなるという事がどれほど悲しく孤独でしょうか。
これが日蓮正宗では一般的な最期で、これが本当の成仏なのでしょうか?
大切な家族や子供達に見守られながら、看取られる事が本当は幸せなのではないでしょうか。
もしあなたが本人だとしたら、家族に何を思いますか?または、もしあなたの大切な人や家族が病に倒れたらどうしますか?

もちろん様々な事情があって看取る事が出来なかったという事はありますが、
宗教的な事で最期に会えなかったりすることは大変不幸な事なのではないかと私は思いました。
一時の選択が、一生の後悔に繋がりかねません。

ちなみにその知人はそのことを機に、日蓮正宗を脱会なさいました。