Chapter 25
あなたが好き
琢郎は息を切らして本江が運ばれた病院に到着した。
駅からここまで全力で走って来た。
豚のタクちゃんを追いかけたとき以来の全力疾走だった。
タクちゃんにはあのとき追いつくことができなかった。
だから今度は追いつきたかった。
低いところからしか見えないことがある。
豚には豚にしか分からないことがある。
強い生き物には見えない、弱い生き物の悲しみもある。でも、喜びもある。
ブサイクにしか見えない世界がある。臆病だからこそ分かる幸せがある。
大きな幸せを目の前にして、琢郎は本当の幸せにようやく気づいた。
「本江さん!」
琢郎はそう叫びながら病院に駆け込み、本江が運ばれた病室を聞くために受付に向かった。
「タクちゃん! 戻って来たんすか?」
受付の前のソファにヨネさんがいた。そして、その横には元気そうな本江が驚いた顔で琢郎を見ていた。
「琢郎さん……。 どうしたんですか?」
「どうしたんですかって、本江さん、バイク事故にあったんでしよ?」
その質問に本江とヨネさんが何か気まずそうな表情を見せた。
「確かに事故にはあったんです。でもね……」
本江の目線の先をたどると、30代前半の男が頭と顔に包帯を巻いて座っていた。
「あの人に轢かれたんです」
ケガをしたのは本江ではなくバイクに乗ったその男だった。
横断歩道を渡ろうとした本江をバイクが襲った。
しかし男がハンドルを切り、バイクが本江の体をかすった。その瞬間、本江の岡持ちがバイクに乗った男の顔に当たり、その衝撃で男は吹き飛ばされてしまったのだという。
本江は転んでかすり傷程度だったが、男は鼻を骨折し、頭も7針縫うケガをした。
ヨネさんが電話で「意識不明」と言っだのは本江さんではなく男のほうだった。
すべての事実を聞き、不安な思いが一気に抜け、琢郎は腰が抜けたように床に座りこんだ。
ホッとして、琢郎の目から涙が滲んできた。
「よかった~~~~~~~~!」
琢郎が大きな声で叫ぶと、ケガをした男が「よくはねえだろ! 俺ケガしてんだから」と不満そうに言った。
琢郎は男のことなど気にせず、立ち上がって本江をギュっと抱きしめた。
「ほんまによかった」
チャーミングな豚同士が抱擁する光景をヨネさんは笑顔で見守った。
突然の抱擁に困惑顔の本江だったが、その表情が笑顔に変わった。
「琢郎さん、戻ってきてくれたんですね」
うなずきながら「ありがとう」と返すと、涙が本江の頬にこぼれた。
「お帰りなさい!」
本江も慣れない感じで琢郎の体に手を回し、抱きしめ返した。
体から伝わる本江の温もりにもう一度言った。
「ほんま、ありがとう」
本江のおかめ顔の笑顔は琢郎に本当の幸せを感じさせてくれた。
ふたりは病院の屋上のど真ん中にポツンと置いてある古びた木のベンチに腰掛け、「ほな、また明日」とでも言いたそうに消えていく夕日を眺めていた。
「僕、気づいたことあるんです……」
琢郎は思いきり笑顔を作って、本江に告げた。
「僕……、本江さんのこと好きです……」
本江は下を向き、恥ずかしそうに聞いた。
「……なんで、なんで私なんか……」
「本江さんといると笑っていられるからです」
琢郎は続けて言った。
「そんな人と僕はずっと一緒にいたいです。ようやく気づけました」
本江は顔をゆっくり上げた。
「あれ? どうかしました? もしかして怒っちゃいました?」
「ありがとうございます。でも私……、私、琢郎さんに隠してたことあるんです」
「……。大丈夫です! 僕、何言われても受け止めます」
「驚きませんか?」
「驚きません!」
「私の父、ハンサムスーツの開発者なんです」
「え————————————————————っ!!」
あのハンサムな白木、いやインゲンマメが本江の父親だったのだ。
「実はもうひとつあるんです。隠してたこと」
「え!?」
「こっちのほうが大切なこと」
「……大丈夫です! もう大丈夫です。何言われても受け止めます」
「驚きませんか?」
「驚きません!」
「私も着てるんですよ」
「私も!? っていうか何を?」
「スーツです」
「え!?」
本江は自分の背中に手を回し、グググつと本江の上半身を外した。
「!!! え~~~~~~~~~~っ! 寛子ちゃん!」
本江の中から寛子が出てきたのだった。
「私のはハンサムスーツじゃないんです。ブスになれるスーツ……、ブスーツ!」
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「なんで男の人は女の人を外見ばかりで決めるの?」
寛子の素朴すぎる質問に父親は優しく答えた。
「そうじゃない人もいるさ。お前がまだ出会ってないだけじゃないかな」
寛子はその日初めて父に、今までの自分の人生で起きたことをすべて話した。
小学生のときにいじめられていたこと。
中学生のときにゲロで恋が終わったこと。
それから怖くて恋愛ができなくなったこと。
そして貴博との恋。
父は寛子にあるものを渡した。
「本当に自分の中身を見てほしい相手に会ったときにこれを着てみなさい」
ハンサムスーツの開発者であった父に渡されたのがブスーツだった。
寛子はこころ屋で働き始めてから、琢郎のことが気になった。
——もしかしたら私の中身を見てくれる人かも。
だから、琢郎が告白した後、試した。
中身を見てくれる人だと信じて。
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寛子に秘密を明かされると、今までの本江と寛子の行動がシンクロした。
本江がこころ屋に來てから仕事に慣れるのが早すぎると思った。
あれは寛子として働いていたからだった。
本江が琢郎にプレゼントしたリストバンド。
あの中の音の鳴るチップは、寛子がこころ屋で結婚報告葉書を見て、リストバンドの中に入れることを思いついたのだった。
公園で何度か寛子の姿を見かけたこと。
こころ屋の近くの公園で、本江のブスーツに着替えていたのだ。
琢郎がパーフェクトハンサムスーツを着ようか悩んでいたとき、こころ屋に寛子が突然現れたこと。
こころ屋を出た本江が大急ぎで寛子にもどって琢郎の前に現れたのだ。
「なんで……、なんでこんなスーツ着てまで僕のところに来たんですか?」
「琢郎さんには外見じゃなくて、私の中身を見て欲しかったんです」
以前ならそんなことを寛子に言われたら動揺してこの屋上から落ちていたはずだった。
でも今は違った。
目の前にいる寛子が、琢郎には本江に思えてきた。
「本当に嘘ついててごめんなさい」
頭を下げる寛子に、琢郎は厳しい表情で言った。
「許さへんで! 嘘ついた罰として……。家帰って、肩揉んでもらってもええかな?」
「喜んで」
琢郎は寛子の手をギュっと握った。
「どっちで呼んだらええかな?」
「どっちって?」
「寛子ちゃんか本江さんか……」
「任せます! どっちも私だから」
「じゃあ、寛子ちゃん」
でも、携帯に登録された「本江さん」の名前は大切なふたりの思い出として、変えることはできなかった。
ハンサムスーツは人を幸せにするスーツ。
でもそれを脱ぐことができたときに本当の幸せを気づかせてくれるスーツ。
夕陽に照らされてできた琢郎と寛子の影は、杏仁と本江のように見えた。
1年後。このふたりの幸せがお裾分けされたかのように、ヨネさんの曲がレコード会社の人の耳に留まり、43歳でメジャーデビューを果たすこととなった。
デビュー曲のタイトルは『ハンサム★ラブ』。
そしてカップリング曲のタイトルは?