Chapter 17
テロリスト
 
「東京ガールズコレクション!? なんすか、それ?」
 杏仁は初めてその言葉を聞いた。
 
 東京ガールズコレクション。
 毎回1万人以上の観客を集めて行われる日本最大のファッションフェスタだ。
 会場となる代々木第一体育館のど真ん中に、普通のファッションショーでは考えられない50メートルもの長いランウェイが設置される。
 そこを歩くことはトップモデルの仲間入りをした証拠とされていた。このフェスタに男性モデルがメインとして出ることはなかったが、杏仁にサプライズモデルとしての出演依頼が来たのだ。
 出演した者は、メディアからの注目度も上がり、モデルとしてさらに大きな階段を登れる。 CMや映画の話だって来る。紛れもないスターの仲間入りをするはずだということを杏仁は神山に熱く説明された。
「ぜひ、出させていただきます」
 快諾する杏仁を見て安心した神山は、左腕の高そうな時計で時間を確認した。
「杏仁、そろそろ行こうか?」
「行くってどこにですか?」
「お前の誕生会に決まってんだろ。まさか予定入れたりしてないだろうね」
 誕生日といってもとりわけ楽しいことなどなかった琢郎は、それが今日であることなどすっかり忘れていた。
「とびっきりのバースデープレゼント、用意してあるから」
 神山はニヤっといやらしい視線を杏仁に送った。

 会場は渋谷のクラブだった。
 ワンフロアまるごと貸切で、ふだんはダンスフロアとなっている場所のと真ん中に、リムジンのように長く真っ白なソファーがドンと置かれていた。そこに杏仁はまるで王様のように座らされていた。
 会場には杏仁の誕生日を祝うために150人以上の人が集まっていた。編集者や広告代理店、そしてたくさんのキレイなモデルたち。9割以上が知らない人だったが、そんな他人からも「誕生日おめでとうございます」と言われると、杏仁は嬉しくないわけはなかった。
 ——ハンサムだとこんな誕生会やってもらえるんや!
 大勢の人を掻き分け、神山が前に出てマイクを持った。
「杏仁、誕生日おめでと~~~~~~!!」
 会場に集まった全員の声が「杏仁、おめでとー」とひとつになり、グラスを合わせる。
 杏仁の体に幸せの鳥肌が立った。
 ——やっぱリハンサムになってよかったわ。
 訪れたお客がみな杏仁を祝福する中、ダンスフロアから少し離れたバーカウンターには勇気がいた。
 ——あいつにはきっと、シャワーを浴びられない理由があるんだ。
 勇気は、カツラや植毛の人はシャワーを浴びるとお湯が頭から不自然に垂れてくるなんて噂を聞いたことがあった。髪がかなり縮れるなんて話も聞いたことがあった。いずれも都市伝説に近い話だが、勇気はテロリストのような目をして、心に決めていた。
 ——あいつの秘密を今、暴いてやる!!
 勇気はバーテンダーに注文した。
「グラスにお湯を入れてもらえませんか?」

 來香が杏仁の横にやって来て、ソファーに腰を下ろした。
「東京ガールズコレクションに出るんだって? 凄いわね」
「ファッションフェスタなんて初めてだから、サポートよろしくね」
「喜んで!」
 ふたりはシャンパングラスをカチンと合わせた。
 広告代理店の人間と楽しげに話す神山を見ながら、來香が言った。
「今日、たぶん契約の話をされるわよ」
「契約?」
「年俸契約。今日は簡単にはOKしないで長引かせたほうがもっといい条件になるから」
 來香の予言は当たったようだ。神山が二コニコしながら杏仁に近づいてくる。
「もしよかったら今日、うちで二次会しない? ふたりきりで」
 來香は杏仁にこう囁くと立ち上かって奥に消えていった。
 その言葉で杏仁学園の校庭に生徒たちが一斉に集まりだした。
 シャワーを浴びなければいい。ただそれだけだ。
 ——今日こそやったるで!
 杏仁校長は生徒たちに誓った。
 神山がソファーに腰を下ろした。
「まだ君とちゃんとした契約の話、してなかったね?」
 ——来た!
 神山は耳元で熱く囁いた。
「年俸1千万でどうかな?」
「1千万?」
 飛び跳ねながら「もちろんOKで~す!」と言いたい気持ちを抑えクールに答えた。
「凄く嬉しいんですけど、安売りしたくないんですよ。ちよっと考えていいですか?」
 しかし神山は過去に何度も同じことを経験していた。想定範囲内の返事だった。
 神山はポケットからあるものを出すと杏仁に渡した。
「これ杏仁への誕生日プレゼントね~。目の前にあるホテルのキー。スイート取ってある。もちろんこれだけじゃないよ」
 そう言うと、神山は杏仁だけに分かるようにアゴでフロアの奥のほうを指した。
 その先を見ると、階段の下に10人以上の女性が立っていた。
 全員身長170センチ以上のスタイル抜群の美人たちだ。だぶんモデルの卵だろう。今の時代に「こんなのどこに売ってたのか?」というくらい、体にピタっと張りつくようなボディコンを着ていた。ちょっと腰を揺らせば下着が見えてしまいそうな短さだった。
 そんなリア・ディゾンよりもフェロモン出しまくりの集団「スパイス効きすぎガールズ」が杏仁をもの欲しそうな目で見ていた。
 ——なんやねん、あいつら。めっちゃエロすぎるわ。
 神山がさらに顔を近づけて熱くやらしく囁いた。
「誰でも部屋に連れて行っちゃっていいからね」
 ——え!? 誰でもって、どういうことや?
 その言葉で股間に再び生徒たちが一斉に集合した。さらに神山は熱く低い声で言った。
「なんだったら全員持って帰っていいから」
 ——全員? 俺ひとりなのに全員ホテルに?
「あの子たち、総理大臣ゲームが大好きらしいよ」
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 総理大臣ゲーム。
 それは昨今大ヒットしている企画ものアダルトビデオのタイトルだ。琢郎もヨネさんが「あれ最高だ」と言うのを聞いたことがあった。
 中身はこうだったという。
 男ひとりと女10人が集まり、11本の割り箸を用意する。王様ゲームと似ている。
 ただし1本の割り箸がかなり長いので、どれが総理大臣になれる割り箸かは一目瞭然だ。女たちは白々しく「どれだろう?」と悩む。男は「これかな?」とこれまた白々しく長い割り箸を引き抜く。「やったー。俺が総理大臣だー」と白々しく叫ぶ。
 総理大臣は自分で考えた新しい法案を可決し、発令できるのだ。
 ビデオでは、こんな3つの法案が可決された。

 【ビキニ法案】
 全員がビキニに着替えなければならないという素敵な法律だ。
 しかも色は白で下にはサポーターを着けてはいけないなど、総理大臣はかなり細かく法律の内容を追加できる。

【重力税法案】
 地球に優しくを合言葉に、重力だってただじゃないと、バスト85センチ以上の女性に課せられる税だ。ただしお金じゃない。バストのサイズ分、たとえばバストが85だった85回、男の目の前でジャンプして、大きな胸を揺らさなくてはならないのだ。そのほうが重力の無駄遣いだと言いたくもなるが総理の命令だからしかたないのだ。

【ポロリ法案】
 海に行ったときに大きな波が来ても命は救えるようにと立てられた法案だ。総理大臣の「はい、ビッグウェーブ!」の声に合わせて、女たちは大きな波に揉まれて起きたハプニングのように、ビキニを下げて胸をポロリしなくてはならないのだ。
「ビッグウェーブ、ダブル!」と言われると両胸をポロリしなくてはならない。
 これのどこが海で命を救うための対策なのかは分からないが、総理大臣の命令は絶対だった。総理の前で次々に女たちが自作自演のポロリを披露する………。

 国会で槍玉にあげられてもおかしくない、どうしようもないAVだったが、男性の妄想を掻き立てたこの作品は大ヒットした。
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 琢郎は総理大臣ゲームをプうイペートで実際にやっているやつもいるという噂を聞いたことがあったが、信じてなかった。
 でも今日、目の前にいる。しかも自分か総理大臣として誘われている。
 神山は唇を杏仁の耳にくっつくぐらいに近づけると熱くとろかすように囁いた。
「どんな法案可決させますか? 杏仁総理」
 妄想で目じりが融けてなくなりそうな杏仁に、神山はチャンスとばかりに言った。
「さっきの条件で正式契約してくれるよね?」
 杏仁は「はい!」と大きくうなずいた。
「そう言ってくれると思ったぞ!」
 そのときだった。
 杏仁の視線の中にコップを持った男が飛び込んできた。
「勇気、来てたのか?」
 神山を無視して、勇気は杏仁を見つめていた。
 杏仁は勇気の持っているコップから湯気が立っているのを見て、それがお湯だと気づいた。
 ——まずい。あんなお湯がみんなの前でかかったら、とんでもないことになる!

 勇気のテロが始まった。
「おめでとう」
 そう言うと勇気はコップに入っているお湯を杏仁にかけた。
 杏仁にはそのお湯が自分を飲み込む大きな津波のように見えた。
 ——ダメだ!!
 そう思った瞬間、会場の電気が消えて真っ暗になった。
 暗闇の中で勇気は大きな声で叫んだ。
「どうしたんだ? なんて電気消えたんだ?? 早く点けろよ」
「♪ハッピーバースデー トゥー ユー♪」
 暗闇の中からスタッフたちが歌を歌いながら、火のついたロウソクが立てられた大きなバースデーケーキを運んできた。
「杏仁、今、お前の秘密暴いでやっからな!」
 勇気はこう叫びながら、ケーキのロウソクの火を頼りにソファーにいる杏仁を見た。しかしそこに杏仁の姿はなかった。
 勇気の作戦は失敗に終わったのだ。

 そのころ杏仁は、ジャケットで顔を隠しながらタクシーに乗り込んでいた。
「勇気のやつ、ふざけんなー!」
 二度もお湯のせいでチャンスを逃した琢郎は、ある場所を行き先として告げた。