Chapter 15
恋傷
 
 2年前の秋のことだった。
「本年度のミス青橋大学は星野寛子さんでーす」
 実行委員会をやっている友達にどうしてもと頼まれ、断ることができず、しかたなくそのミスコンに出場した。そこで寛子は優勝した。

 大学に入ってから寛子に声をかけてくる男は多かった。しかし、ゲロ事件から人を好きになる気持ちに自然とロックがかかるようになっていた寛子は男と付き合うことができなかった。
 ミスコンで優勝すると、さらに男たちの数は増えたが、怖さが先に立ってしまった。そんなとき、寛子は同じ大学に通うふたつ上の貴博と出会った。

 大学の帰りに近<のカフェで本を読むのが寛子は好きだった。
 ——本の中の物語は私を傷つけない。
 本の中で恋をする。
「いつもここで本、読んでるんだね」
 突然声をかけられ、驚いた寛子は顔を上げた。目の前には白のボタンダウンにブルージーンズ、紺色のジャケットを着た男が微笑んでいた。
「あ! すっごい偶然かも……」
 貴愽がカバンから同じ本を出すのを見て、寛子は驚いた。
「初めていました。私以外にこの本を読んでる人」
「僕、この作家大好きなんだけど、まわりでも好きな人、誰もいないんだよね」

 この日の「偶然」以来、寛子と貴博はふたりきりの読書サークルを作った。
 そのサークルはしばらくするとカフェを離れ、街でデートをするようになった。
 あの日は、寛子が大好きな本の中に出てくるデートコースと同じものだった。横浜の山下公園を舞台にした、ずっと憧れていたロマンティックなデートだ。
 その日の帰り、寛子は貴博の部屋に泊まった。

 朝、ベッドで隣に寝る貴博の寝顔を寛子は指でツンツンと2回つついた。起きない貴博を見ていると自然と笑みがこぼれてきた。書置きだけして、家に帰った。初めての「嬉し恥ずかし朝帰り」だった。
 そして貴博が寛子にとって人生で初めての恋人になった。

「知ってる? 貴博の新しい彼女、人気読者モデルだって」
 いつものカフェで本を読んでいると、突然寛子の隣の席にひとりの女性が座った。
「え‥‥‥?」
「私、英文科の3年、佐川友美。初めまして」
 バージニアスリムをふかしながら、髪の毛をかきあげて言った。
「あなたの彼氏の貴博よ! 新しい彼女、できてるよ!」
「どういうことですか?」
「貴博と最近連絡全然取ってないな~と思って、ここでたそがれてたんでしよ?」
「そんなことありません。貴博さんに彼女なんかできてないと思います」
 寛子はムキになって言い返したが、100%そう言いかれる自信はなかった。
 友美はニコっと笑いながら尋問を開始した。
「じやあ、最近デートしたのいつ?」
「1ヶ月くらい前」
「電話は?」
「忙しいらしくてあんまりないですけど」
「あんまり? この2週間で何回?」
「・・・・・・・・」
「メールの返信は?」
「貴博さん忙しいんですよ! 就職活動とか」
「そうだね、他の女と遊ぶのに忙しいもんね」
「さっきからなんなんですか? 根も葉もないことばっかり言って!」
 寛子がこんなに人に苛立ったのは初めてだった。
「そもそもあなた誰なんですか?」
「他人だと思ってるでしよ?」
「違うんですか?」
「他人だけど他人じやないかも」
「じゃあなんなんですか?」
「貴愽のモトカノ」
「え?」
「あなたの前に付き合ってた女が私。あなたが出てきて私とはフェイドアウト」
「そうだったんですか……?」
 急に気まずい空気が流れ出した。
「これでも私も去年のミスコンの準優勝者なんですけど。私とあなたは同じ被害者の会よ! 知らないと思ったから教えてあげたの」
「被害者? 私は被害者じやないです」
「貴博の新しい彼女ね、最近、読者モデルで結構人気出てきたんだって」
 寛子は友美の事務的に伝えるその口調に、妙な信憑性を感じた。
「……本当にその人と付き合ってるって言うんですか?」
「信じられないなら直接会って聞いてみたら。お勧めしないけど」
 寛子は気持ちを落ち着かせようと目を瞑った。友美は続けた。
「貴博にとっては私よりも、ミスコンで優勝したあなたのほうが人に自慢できる女。でも、そんなあなたよりも読者モデルで人気のある彼女のほうが自慢できる女」
「……自慢ってどういうことですか?」
「ブランドのバッグと一緒! 自慢できる人と付き合ってたいだけでしよ」
 友美の言ってることが全然理解できなかった。
「……じやあ、貴博にとって私はそういう存在だったってことですか?」
「しかたないよね。世の中のたいていの男がそうでしよ?」
「そんなわけないです!」
「あんたとか私みたいな美人はある意味損よね~! 美人は三日で飽きるっで当たってるよね! だから美人はどんどん他の付加価値つけないと負けちゃうもんね」
 ——付加価値?
 友美は立ち上がって、自慢するように寛子に言った。
「私ね、今月からテレビのレギュラー決まっだの! 貴博悔しがるだろうなー」
 そう言ってタバコをバッグの中にしまう友美を見て寛子が聞いた。
「……世の中には中身を見てくれる人なんかいないってことですか?」
「中身って何? セックスってこと?」
「違います!」
「だとしたら、田舎でスターバックス見つけるくらい難しいと思うけど」

 寛子は家に帰って、ひとりクッションを抱えながら泣きじゃくっていた。
 なんとなくつけていたテレビから嬌声が聞こえてきた。女子大生が出る深夜の生番組だった。そこに司会のお笑い芸人の横で水着姿で立つあの友美の姿が映っていた。
「ギリギリセクシーワード! 友美ちゃんのチャレンジ!どうぞ!」
 司会の合図で友美がカメラ目線でエロティックなポーズをとりながら言った。
「マンゴスチ~ン」
 スタジオにいる男たちが「おお!」と吠えながら喜んでいた。
 ——これが貴博への復讐?
 寛子の目からまた涙がこぼれてきた。