Chapter 6
ハンサムスーツ
 
 琢郎を乗せたバスは渋滞中の246号線を走っていた。
 つり革を掴んで立っている琢郎の前にOLが立っていた。ガラス窓に映る自分の顔を見て何度も髪形を気にしている。琢郎はこういう自意識の強い女が一番苦手だった。
 バスが急停車して体が揺れた。琢郎の体は前のOLの背中に密着した。
 すると女性は不快感150%の顔で琢郎を睨みつけた。こんな顔の絵文字が携帯にあってもおかしくないほどだ。
 こんな思いを琢郎は人生で何百回と味わってきた。「慣れっこやで」と琢郎は自分に言い聞かせている。でも、どんな人間だって慣れることはない。毎回傷ついているのだ。

 バスを降りると、まるで要塞のような真っ白で大きな建物が琢郎を待ち構えていた。「紳士服のパーフェクトスーツ」だ。チェーン店を作らず、一店集中で何十年も大きな売り上げを出しているらしい。
 ——来てもうたぁ。

 自動ドアを開いて店に入ると、ワンフロアが体育館なみの広さの店内に壁画のようにズラつと並んでいるスーツが目に飛び込んできた。
 琢郎の来店を待ち構えていたかのように、あの男がスーッと近づいてきた。公園でチラシを渡してきた男だ。名札には「沢田」と書かれていた。『マトリックス』のエージェント・スミス、いや、エージェント沢田か。
「いらっしゃいませ。やはり来ていただいたんですね」
 ただでさえ不気味なウマヅラなのに、笑顔を滲ませるから余計に不気味に見える。
「あ、あの友達の結婚式に着ていくスーツを探しに来たんですけど」
「本当はそれが目的じゃないんでしよ?」
「は!?」
「人生を変えるスーツ、欲しいんでしょう?」
「いや僕は普通のスーツを買いに来ただけなんです」
 そのとき、沢田の後ろからもうひとりの店員が現れた。まるで時代劇から飛び出してきたようなハンサムな男だった。
 50歳を過ぎていそうなのに肌は透き通るように白く、妙な色気を漂わせている。男は背筋をピンと伸ばし、沢田を遮るように琢郎の前にさっと立った。
「店長の白木と申します。ハンサムですいません……」
 琢郎は背筋がぞくっとするのを感じた。
「あなたには特別にお見せします! 人生を変えるスーツを!」
「いや、だから僕は友達の結婚式に着て行くスーツをですね……」
 白木は琢郎の手をギュっと握った。白木の手は人肌を感じさせなかった。それが余計に怖さを募らせた。
「必ずや気に入っていただけると思いますよ!」
 これはもはや笑顔の脅迫だった。

 白木と琢郎を乗せたエレベーターが3階に着くと、分厚そうな錆びた鉄製の扉が目の前にあった。まるで刑務所にあるような扉だった。
 白木が鍵を出して、扉を開けた。ギーっという悲鳴のような音がした。
 ——めっちや怖い。何があんねん!?
 琢郎の不安はマックスに膨らんだ。息が詰まりそうだった。蛍光灯が一斉についた。真っ白な床。壁と天井はすべて鏡張りの部屋だった。
 ——趣味の悪いラブホテルみたいや。
 そこに、ハンガーラックを押しながら沢田が入ってきた。
「あなたにお勧めしたいのは、これです」
 白本がそう言って、ラックにかかっているものを指さした。
 それは、肌色の全身タイツのようだったが、襟元の上にはしぼんだ風船のようなものがダラ~ンと付いていた。さらにその上にはカッラのようなものがあった。袖の先、裾の先にも肌色のしぼんだ風船が付いていた。
 ——キモッ! つうかコワッ! つうか、なんやねん、これ!
 小学生のころ、図書室で江戸川乱歩の本を読んだときのような怖さが体に伝わってきた。
「これ……なんですか?」
 琢郎は恐る恐る聞いた。
「スーツです!!」
「いや、スーツ言うても風船ついてますよ」
「風船じやありません。これは顔、こちらが手、こちらが足」
「は!?」
「どんなブサイクな人でもこれさえ着れば理想のハンサムな顔と体が手に入るんです」
 白木は指を銃のような形にして向けた。バキュ~ン!
「つまりは、これが……、ハンサムスーツです!」
 琢郎は白木の目を見ずに言った。
「帰ります」
 小走り気味に白木の前を突破しようとする琢郎を。沢田が大きな体でガードした。
「僕は友達の結婚式に着て行くスーツを買いに来たんです!帰らせてください!」
 怯えて今にも腰の抜けそうな琢郎に、白木は次の行動に出た。
「あなたはハンサムスーツが信じられないんですね」
「信じられるわけないでしよ!!」
 口に泡をためで叫ぶ琢郎に白木は言った。
「ならば見せましょう! 実は私も着てるんですよ」
 白木は着ているスーツを脱いで下着姿になった。
 ——なんでこのおっさん、いきなり裸になりだしてんねん!?
 白木は、女性がブラジャーを外すように両手を背中に回した。すると、ジジジジジ~ッというジッパーを下げるような音がした。白木の背中には30センチほどの穴が空いていた。
 ——なんやねん! 背中に穴が空いとるで! キモい!怖い! 帰りたい!
 今度は自分の顔に手をかけ、右手で髪の毛を掴んでトレーナーを脱ぐように上にグググっと引っ張った。
 スッポン! と音がして、白木はそのままズルズルズルっとライダースーツを脱ぐような要領で脱いだ。
 ——なんやねん、これ! っていうかこれは夢やろ?悪夢やろ?
 琢郎は自分の目を、いや頭を疑った。
 目の前に、さっきまで超ハンサムだった男の中からかなり貧相な8割ハゲかけたイングンマメのような小さなおっさんが出てきたのだ。
 
「エ~~~~~~~~~~~~~~ッ!!??」
 琢郎は腰が抜けてお尻から崩れてしまった。怯えるような目で見つめる先には、肌色の物体が脱ぎ捨てられていた。
 ハンサムだった白木は身長150センチほどのインゲンマメのおっさんになっていた。
「これが私の本当の姿です。信じてもらえましたか?」
 琢郎は口をあんぐりとカバのあくびのようにおっぴろげていた。開いた口が塞がらない、塞げない。
 そんな琢郎を見て、沢田がリモコンを手にしてボタンを押した。部屋の照明が落ち、正面の鏡が一面ディスプレイ画面となり、映像が流れ始めた。

「理想の姿を手に入れたい! そんな夢を叶えるのがハンサムスーツです!
 このハンサムスーツは、国家の支援を受けて我々が開発を進めてきたものです。
 ひとつは医療目的。事故などで顔や体に大きな怪我を負った人もこのハンサムスーツにより第二の人生をスタートできるのです!
 第二の目的は、わけあって姿を隠さなければならなくなった人や命を狙われている国の要人などが、このスーツによって別の人間として人生を歩むことができるのです!
 今、世界各国では人知れずこのスーツを着て生活している人間がいるのです。
 ハンサムスーツの開発は、より完成形に近づけるため、一般の方にモニターとして、このスーツを着て日常生活を送ってもらうという最終テスト段階に入りました。
 ハンサムスーツは、近い将来たくさんの人の夢を叶えるのです!!」

 インゲンマメはまだ腰を抜かしたままの琢郎に言った。
「というわけで、あなたにモニターになっていただきたいのです」
 琢郎は声を振り絞るようにして、何とか答えた。
「……モニター? ……なんで僕なんですか?」
「このスーツを一番利用しだいと思うのは、容姿にコップレックスを持っている方です」
「僕以外でもいるでしよ」
 沢田は持っていた書類を琢郎の前に並べた。履歴書のように顔写真が貼られた資料だった。その中に琢郎のものもあった。
「誠に失礼ですが、私どもでさまざまなブサイクな男性をリサーチさせていただきました」
「え!? もしかしてそれで選ばれたのが俺ってことですか?」
 白木と沢田が「正解」と言わんばかりに大きくうなずいた。
「顔・体型・性格・人生。モニターに必要なすべてのブサイク値をクリアしてる。合格です」
 人生でこんなに嬉しくない合格は初めてだった。
「さあ、試しにお好きなものを着てみてください」
 琢郎が目の前のスーツにゆっくりと手をかけると肌色の顔の部分が揺れた。
「気持ち悪っ。やっぱ僕はいいです」
「一度でいいんです! 着てみてください!」
 白木は目を輝かせて琢郎にハンサムスーツの試着を勧めた。
「着たら帰らせてくださいよ」
 琢郎は、白木の目の前でトランクス一丁になった。
「当店のお勧めです」
 しかたなく、琢郎はそれを受けとっだ。
 顔と手と足がダラ~ンとぶら下かっている。
 ——やっぱ気持ち悪っ。何がハンサムスーツやねん。