タナフク 田中さんへ

 高校生の私が、いきなりテレビ局の前で田中さんにこの手紙と日記を渡せているかどうか分かりません。
 多分、警備員とかに止められるかもしれないけど、なんとかこの手紙と日記が田中さんの手に渡ってくれていることを祈って、書いてます。

 私は今、高校3年生です。
 ずっとずっと昔に田中さんとコンビを組んでいた甲本の娘です。
 父と田中さんが書いていた交換日記を、昨日初めて読んで、父が昔田中さんと組んで芸人をやっていたことを知りました。
 芸人をやっていたこと自体、知りませんでした。
 父が芸人だったことにも驚いたし、田中さんと一緒にやっていたなんて、なんだか信じられません。

 なぜ今日、私がこの手紙を書き、日記を届けに来たかと言うと、父が病気になったからです。父は一昨年の夏に肝臓癌になったことが発覚して、手術したけど結局、完治しませんでした。
 余命1年と言われたんですが、薬のおかげもあって2年以上生きてて、父は「俺は不死身なんだな」とか言ってたけど、先月、急に息が苦しそうになり、そのまま入院して今ずっと呼吸器を付けています。お医者さんからは、いつその時が来てもおかしくない、と言われています。覚悟はしていましたが、その瞬間がすぐそこまで来ていると思うと、やはり怖くなるものですね。

 母はこの2年間、私の前ではずっと明るく元気にしてました。「人はいつか死ぬんだから! パパは人よりちょっと早いだけ」って。とくにここ1ヶ月は明るくて……。でも昨日、「お別れに備えて、今のうちに部屋の片付けもしておかなくちゃ」って言ったきり部屋からずっと出てこなかったので心配して覗いたら、父とのアルバムを見て、泣いていました。
 母が病院に行くと言ったので、こっそり部屋に入ってみました。普段、私はほとんど入ったことのないふたりの部屋。片付けてる途中だったから、色んなものがあって、そこに見つけたんです。
 表紙に「イエローハーツ」って書かれた、古いノート。全部で5冊ありました。
 見つけた時にドキドキしました。なんか私が開いちゃいけないもののような気がして。
 でも、見ちゃいました。
 読みました。
 全部読みました。
 そして知ることができました。
 父が芸人をやってたこと、テレビで大活躍の田中さんとやってたこと、芸人を諦めたこと……全部知りました。
 あと、私が生まれた時、父は馬のおしっこを浴びてたことまで(笑)。
 最後まで読んで、思いました。
 父は本当は、これを田中さんに読んでほしいんだろうなって。

 今からちょっとだけ、私から、私の父のことを書かせてください。
 父は7年前から三軒茶屋でお店をやってます。
 小さな居酒屋だけど、お母さんが料理を作ってて、全部絶品です。
 父はここに来るお客さんと毎日、夢について熱く語ってます。時には喧嘩になったりすることもあるんですよ。
 夢を諦めたからこそ、夢に対しての思いが強いんですね。
 父は私の夢に対する思いもすごかったんです。
 うちは他の家に比べるとあんまり裕福ではありません。だけど、私が小さいころピアノを習いたいと言うと、無理してでもピアノを習わせてくれました。さすがに家が小さいからピアノは買えなかったけど、無理してキーボードを買ってくれました。
 来年から音大にも受かって通えることになりました。
 最初は音大に行くのはお金的に厳しいから諦めようと思ったんですが、父が「金で済むなら夢を諦めるな!」って。「俺が死んだら保険金も入るしな」癌になっても、笑いながらそんなことを言ってくれて。
 とにかく父は昔から私に繰り返し言いました。「夢を諦めるな」って。
 一度、父が学校に乗り込んで先生をお説教したことがありました。
 先生が私に、「音大とか考えずに普通の大学行ったほうがいいんじゃないか?」と提案したからです。
 父はカンカンに怒って、「夢見てる人間を応援しないやつが教師なんかやるな!!」と先生の胸倉をつかんで大問題になったんですよ。

 父が昔から私に言い聞かせてたことは「夢を諦めるな」ってことと、テレビを見てタナフクが出るたびに「こいつらが一番おもしろい」と言ってたことです。
 父はタナフクの出てる番組を必ず私に見せてました。
 田中さんが喋るたびに笑って「こいつ、おもしろいだろ!!」って何度も言うんです。なんか自慢するように言うんです。なんでそんな自慢げに言うのか、当然理解はできなかったんですけどね。
 だから私、子供のころからタナフクの出てる番組、全部見てるんですよ。
 一度だけ父がすごく酔ってる時にテレビに映ってる田中さんを指さして言ったんです。「こいつ、俺と漫才やってた」って。
 本当だったんですね。
 イエローハーツ。
 田中さんがボケて、父がツッコむ……この日記を読んだ今でも、なんだか信じられない気持ちです。
 まだテレビの横には黄色のリストバンド、飾ってあるんですよ。
 かなり色が変色しちゃってますけど……。
 一度聞いたことあります。「これ、何?」って。そしたら父、なんて言ったと思います?

 ──昔の彼女みたいなやつとの思い出かな──

 それ聞いて「そんなもの部屋に飾って、お母さん、嫌じゃないの?」って聞いたら、母も「その刺繍入れたの、わたしだよ」って言ってたんです。

 あの時は全然意味が分かりませんでした。
 でも今は分かります。

 病院には沢山の人がお見舞いに来てくれます。
 父のお店の常連さん達です。
 みんな父の病状を分かってます。
 だから、父の前ではバカな笑い話しかしないけど、みんな、病室出ると泣いてます。
 父が、夢を追いかけてるみんなの悩みや不安に本気でぶつかっていたから、みんな涙を流してくれるんですね……。

 この日記の最後に、父の夢が書いてあります。
 夢を諦めた自分にしかできない居酒屋をやること。
 父の夢は叶ったんですね。
 本当によかった。

 あ、あと、この日記に書いてあったあの言葉。父、私に言ったことがあります。「『やろうと思った』と『やる』の間には大きな川が流れてる」って。私が音大を受けようかどうか悩んでる時に言いました。言ったけど、途中で噛んじゃったから、言われた時はよく分からなかったけど、日記を見て分かりました。
 本当、大事な時に噛んじゃうのは昔から変わってないんですね。

 こんな手紙を書いて、この日記を私が田中さんに渡しに行ってることを父も母も知りません。あとで知ったらすごく怒られるかもしれません。
 父の性格からして、今さら田中さんに合わせる顔がないと思っているに違いないですから。母も父から強く止められてるんだろうと思います。「入院してることはもちろん、俺が死んでも絶対に知らせるな」って。
 だけど、この日記はこのまま終わっちゃいけないんじゃないかって思うんです。せめて田中さんに読んでほしい、父の思いを父がまだ生きているうちにどうしても伝えなきゃいけないって。
 今朝、事務所の担当の人に電話してみたんですが、何度掛けても途中で電話を切られてしまうので(当たり前ですよね。こんなこといきなり電話で言われてちゃんと聞いてくれるほうがおかしいです)、この日記をこうして直接お渡ししに来ました。

 昨日の夜、この日記を全部読んだあと、私は父の病室に泊っていました。
 父は私の名前を呼んで、いきなり呼吸器を外して言いました。

 ──夢を諦めるなよ──

 私が「分かってるよ。諦めない」って言ったら、苦しいのに続けて言ったんです。

 ──もし夢を諦めてもいい時があるとしたら、その夢を諦めてでも幸せにしたい人ができた時だからな──

 父が夢を諦めてでも幸せにしたかった人は、私と母と。
 田中さんだったんですね。
 この日記を田中さんが読んでくれていますように。

 それと、最後に。私の名前と父がやってる居酒屋は同じ名前なんです。
 「黄染」って書いて、「きいろ」と読みます。

甲本黄染   

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