4月20日 田中へ
ダメだわ。やっぱダメだわ。
こないだこの日記書いちゃってからずっとモヤモヤしてることが1個ある。
お前が絶対に読むことがない日記なのに、なんかこれ書かなきゃ成仏できないっていうか、この日記終われない気がしてさ。
だから、これだけ書かせてくれ。最後の1回。本当に今日で終わり。
終われよ、俺! (自分に言った)

なんでモヤモヤしてたかって言うと、田中、お前に隠してることがある。
笑軍の本戦が終わって、BBの橋本が逃げてあいつらの解散が決まったあと、2月7日だった。中山社長からいきなり電話が掛かってきた。至急会いたいって話だった。
しかも「田中には内緒で」って言われた。なんか分からないけど胸騒ぎがした。
嫌な胸騒ぎ。
事務所の近くの喫茶店に呼び出されて、そこには社長しかいなかった。
あとから考えたら、貸し切りにしてたのかもしんないけど。
俺はテーブル席に座る社長の対面に座った。胸騒ぎを抑えて、普通に挨拶するのが精一杯だった。会った瞬間、社長、なんかいつもと雰囲気全然違うのが分かったんだ。笑顔のつもりだけど、なんか怖いっていうか、堅いっていうか……。俺が到着するだいぶ前から待っていたんだろうな。タバコの吸い殻が何本もあったのを覚えてる。
俺が座るとすぐに社長が聞いてきた。「借金、増えてるんだって?」って。
いきなり金の話だった。紺野さんに借りてることとかも全部知ってた。
借金が返せてないことを心配する感じだった。いきなりそんなこと言われて、胸騒ぎがでっかくなった。なんか怖くなって、怖さを振り払う感じで聞いた。
──社長、どうしたんスか? なんで俺、呼んだんですか?──
そしたら、中山社長さ、吸ってたタバコを灰皿でもみ消して、俺にいきなり頭下げて「すまん」って。そのあとに言ったんだ。
──イエローハーツを解散してくれ──
意味分からなかった。そしたら続けてこう言った。
──田中の未来のために──
その言葉を聞いて、自分の胸騒ぎの理由が分かった気がしたんだ……。
もちろん腹立ったよ! いくら社長とはいえ、コンビ間のことまで口出しされる筋合いはないだろ?
でもさ、腹立ったけど、なんか言葉が出てこなくてさ、どうしていいか分からなくなって、笑ったんだ。
冗談やめてくださいよ的な感じでごまかしたかったのかな……。
とにかく笑った。っていうか、笑うフリしてた。
だけど、笑うフリには限界があってさ……だんだん笑えなくなってきて、頭下げ続けてる社長に理由を聞くしかなくなったんだ。
理由なんか聞きたくなかったよ。聞いて、もし俺が納得するしかない理由だったらどうしようもないだろ? でも、俺が笑えなくなって下向いて、社長も頭を下げたままで……そしたら空気読めない店員が近寄ってきて、「ご注文は?」なんて聞いてきやがってさ。下向いたまま「コーヒー」って注文してさ、その言葉出したついでに聞いたんだ。「本気ですか?」って。
社長、顔上げてさ、頷いてた。
そしたらさ、喫茶店の扉が開く音がして、もうひとり入ってきたんだ。
川野さんだった。
驚いたよ。でもぶっちゃけ来るような気もしてたんだ。
川野さんが入ってきた時に分かったんだ。今、社長にこの言葉を言わせたのは川野さんだって。
また川野さんだったよ!
俺たちにチャンスをくれたのも川野さん。だけど、お前を作家として誘ったのも川野さん。お前の才能を一番買ってたのも川野さん。
川野さんはすぐに空気を察して、社長が俺にどこまで話をしたのか分かったみたいだった。
キャップを脱いだ川野さんは、俺の目を見て言った。「オレは今から人として君を傷つけるようなことばかり言う。でも聞いてほしい」って。俺は下を向いたまま何も言わなかった。
っていうか、どうしたらいいか分からなかったんだ。
そしたら、「BBの福田とイエローハーツの田中が組んだら最高のコンビになると思う」って。
一番言われたくない言葉だった。
殴りかかりたかった。すぐにでも机をひっくり返してやりたかった。
だけどできなかった。
川野さんは説明を始めた。医者が薬の説明をするかのように淡々と。
笑軍が終わって、BBの橋本が逃げて、福田がひとりになって、BBのマネージャーの篠田が川野さんに相談したらしい。実は福田も自信なくして、芸人やめようかって悩みだしてるんだって。
そこで川野さんは思ったんだ。福田と田中が組んだら最高のコンビになるって。
もしふたりがコンビを組めたら、川野さんの全ての力を使ってふたりを売り出す番組を作りたいって考えた。でも、そのことを田中に提案してもOKするわけがない。
そんで、俺のところに言いに来た。
川野さんは芸人が好きだ。だから、今コンビやってる芸人に「解散しろ」なんてことを言いに来ることがどれだけあり得ないことか分かってる人だ。でも、川野さんは言ったんだ。「コンビの芸人は沢山いるけど、ふたりが組んだらテレビ界で久々に大きな夢を見させることができるコンビになるかもしれない」って。
じゃあ、イエローハーツじゃ夢見せられねえのかよ!! って言ってやりたかった。
でも、言えなかった。なんでだと思う?
川野さんは下向いてる俺に優しく言ってきたんだ。
──笑軍負けたあと、本当は解散、考えたんだろ?──
そのひと言が全てだった。
俺、本気で考えてたから。笑軍負けたあとから、ずっと考えてたから……。
俺が川野さんに殴りかかれなかった理由。
自分の力の限界を感じてたからだ。
田中。俺は足を引っ張ってばかりだった。
ごめんな。
ごめん。
川野さんがお前の才能に惚れてるのも分かってた。怖かったんだ。俺ひとりが取り残されていくような気がして。
前説のあととかも、川野さんがお前だけにこそこそってアドバイスしてるのを遠目から見てドキドキしてたんだ。「解散したほうがいいぞ」って言ってたらどうしようって思ってた。
田中は俺と組んでなければもっと早く売れてた。だってそうだろ? M-1の時も、俺が噛んでさえいなければ上に行ってたはずだ。
あんなミスしておきながら、笑軍でスピード上げようなんて調子こいた提案した。そんで自分で噛んだ。
俺がお前だったらぶん殴ってたはずだ。自分で提案して自分で噛んで何してんだよ! って掴みかかったと思う。
なのに、お前はネタが終わったあと、俺が2回も噛んだの分かってるのに「最高の出来だったね」って言ってきた。ひと言も攻めなかった。
殴ってくれたほうが楽だったよ……。
励まされるのは辛かったよ……。
あの時、自分の中で明らかになった。やっぱり俺がお前の足を引っ張ってるんだって。
あの日、家帰ってさ、久美のパソコン借りて、ネットで見てたんだ。笑軍をずっと見てたお笑い好きのファンサイトみたいなやつ。イエローハーツのこと結構書いてあったんだ。そしたら、そこに「あのコンビはボケがツッコミにレベルを合わせてる」って。「ボケの田中はあんな漫才をしなくてももっといい漫才ができるはず」って……。
そのとおりだと思った。
俺は気付けなかったけど、田中はずっと俺に合わせてくれてたんだよな。
あの漫才できた時に「発明した!!」って思ったけど、俺のレベルにあったものができただけだったんだ……って気付いたよ。気付けたよ。
1月24日の営業、俺、飲んですっぽかしたって書いたけど、違うんだ。
起きてた。
怖くなったんだ。営業行って漫才やって、お客の中に「ボケがツッコミのレベルに合わせてる」って気付いてる客がいたらどうしようって……。そんなこと考えたら怖くなってきたんだ。
だからあの日サボっちまった。
田中はどう思ってた?
俺がお前の足を引っ張ってるって気付いてたのかな??
気付いてたよな。
お前は優しいもんな……。
福田の才能だって、実は俺が一番分かってた。
最初は俺のツッコミの真似してると思ってムカついたけど、BB組んでからのあいつのツッコミ見たら、俺よか全然上手くなってたし、あいつはあいつなりに色んなプレッシャー受けて死ぬほど練習したんだって分かった。
喫茶店で川野さん、ずっと下向いてる俺を見て言ったんだ。
──今、田中と漫才やっても辛いだろ──
全部見抜かれてた。分かってたんだな、あの人には。
俺さ、頷いちゃった。「はい」って。
下向いたまま頷いたら、涙が出てきて止まらなくなってさ……。
今まで流したことないくらいの涙が流れてきちゃってさ、声も出ちゃってさ……。
大人になってもこんだけ涙が出ることあんだなってくらい涙が止まらなかった。
なんであんなに涙が出たんだろう。
悲しかったから?
辛かったから?
違うんだ。
なんか楽になれたからだったんだろうな。
今まで誰にも言えなかった自分の思い。
それを川野さんが言ってくれて、なんか重い荷物を降ろせたっていうか……。
だから涙流しながら、俺、川野さんに何度も「ありがとうございます」って言ってた気がする。楽にしてくれてありがとう……って意味だったのかな。
俺はその日、解散することを決めた。

次の日、社長にまた呼ばれた。
具体的な話だった。「オレはお前にも才能はあると思う。お前に合う仕事も用意するから」って言われた。芸人が世界を回る番組のオーディションを受けてほしい、それはそれでお前にとって大きなチャンスになるからって。受かるようにがんばろうなって。
でも分かってた。
俺がそのオーディション受ければ、必ず受かるようになってるって。川野さんのいる局だし、話がついてるんだろうなって思った。
分かってた。
俺が解散するって言ってもお前が簡単にOKするわけない。だけど、俺がひとりで1年以上も海外に行きっぱなしになる仕事を選んだら、お前も諦めるだろうって考えたんだろうな。
よくできたストーリーだと思った。
でも、一番でかかったのは、社長が俺のギャラを保障してくれたことだった。
1年間日本にいれないし、出産にも立ち会えない、子供が生まれてもすぐに会うことはできない。
だけど、金がもらえる。
子供が生まれてくる俺にとっては、その選択肢しかなかったんだ。
オーディションを受けに行ったら、案の定すぐに受かった。
全ては整った。
そして日記の2月13日、俺はお前に解散を提案したんだ。
あの時は、もう全てが決まってた。

3月31日に解散したな。イエローハーツ。
俺が日本を旅立ったのは4月7日だった。
俺は俺で思ったんだ。絶対この番組でスターになってやるって。
『電波少年』で色んなスターが出たみたいに、俺もああなってやる!! って。
本当にディレクターひとりと俺ひとりのふたりきりのロケでさ、世界中を船とバスと電車で回るんだ。俺のキャラは侍で、髪の毛はドレッドヘアー。ドレッド侍。だけど、途中でキャラが弱いからってどんどんキャラ乗せられて、サングラスとかふんどしとかして。俺がディレクターに「キャラ乗せすぎじゃないですか?」って聞いたら、「これくらいがいいんだよ」って言われてさ。俺らのネタみたいだよな(笑)。
色んな国を回ってさ、アポなしで、結婚式にいきなり参加させてくれってお願いしてさ、自分なりには必死にがんばってみた。
だけど、テレビってシビアだよな~。放送したら視聴率が悪いってことになって、途中からどんどん企画が変わったんだ。
猛獣に会ったり、山を登ったり、どっかで見たことあるのばっかりやらされて。
でも1年近くやったけど、全然人気出なくて……。番組自体が終わっちゃって。
1年ぶりに日本に帰ってきてさ、空港で社長、待っててくれたんだ。社長がさ「また川野さんと話してなんかのオーディション受けさせてもらうようにするから」って言ってくれたんだ。俺もがんばるしかないって思ってた。
でも、数時間後に考えが変わった。
家帰ったら久美が子供抱いて出迎えてくれた。
言葉が出なかった。
だって久美が俺の子供を抱いてるんだもん。
久美が母親になってるんだもん。
ってことは、俺も父親になってんだもん。
久美を抱きしめた。そんで、娘を初めて抱きしめた。
小さかった。
温かかった。
会えなくてごめんな……って言いながら思いっきり抱きしめた。
笑軍の予選に勝って以来、初めて本気で心から幸せだと思えた。
絶対こいつを幸せにしてやるって思った。
娘は泣いてたよ。そりゃそうだよな。今まで会ったことないおじさんにいきなり抱きしめられたんだもんな。久美が横で「パパだよー」って言ってくれた。

でもな。
なんだろ。こういうのって。神様は俺の人生をちょっと楽しんでるのかな……。
そんな神様がいるんだとしたら暇な神様だよな。だってあまりにも、いいタイミングだろ?
俺が1年ぶりに日本に帰ってきて初めて娘を抱きしめた時だよ。
テレビの音が聞こえてきて、ナレーションが言ったんだ。「今、一番勢いのある超人気コンビ!」スタジオの客がすごい歓声だった。出てきたのがお前だった。そのあとに出てきたのが福田だった。
マイクの前にお前と福田が立った時に、テレビに「タナフク」ってコンビ名が出た。
ふたりの間にさんぱちマイクがあって……。
福田が喋り始めて、お前がボケて、福田がお前の頭をはたいてツッコんで……。
スタジオに大爆笑が起きた。
久美がテレビを消そうとしたから、俺は「消さないで」ってお願いして、娘を抱きしめたまま、日本に帰ってきてお前の新しいコンビの漫才を初めて見た。
おもしれえじゃねえかよ!! って思った。
だって、お前らの漫才、始めて1年経ってないのに、最高にテンポいいんだもん。
ツッコミのやつが噛むこともなく、最高にコンビネーションいいんだもん。
司会のベッキー、大爆笑だもん。
笑ったよ。
お前らの漫才見て、笑ったよ。
笑ったけど、泣けてきちゃったよ……。
だって、田中にはもう本当に俺はいらなかったんだもん。
お前は俺と別れたことがやっぱ正解で、お前の横には俺の入る隙間はなくて、日本に帰ってきた時にちょっとでも田中と組むこととか考えてた自分もいて、でも、テレビの中には現実があって……、ほんの数分の漫才の間に諦めがついた。
だって俺の腕の中には俺がこれから守らなきゃいけない最高の宝があってさ……。
おもしろくてよかったよ。
お前らの漫才が本当におもしろくてよかった。
だっておもしろくなきゃ諦めつかねえだろ!
俺とやったほうがいいじゃんって思っちゃっただろ。
諦めついて、笑いながら泣いちゃってさ……。
俺、ようやく覚悟できたんだ。
娘を抱きながら久美に言ったんだ。「俺、芸人、やめるわ」って。
そしたら久美、泣きながら言ってくれたんだ。「お疲れ様でした」って。
お前が諦めさせてくれたんだ。
俺の夢を諦めさせてくれた。
不思議だよな。
一緒に夢見てきたやつの漫才見て、自分の夢の諦めつくんだから……。

そうして俺は今、居酒屋で働いている。
ちなみに今の俺の夢はな、自分の店を持つことなんだ。小さくてもいいから、久美と一緒に店をやって、毎日お客さんと楽しく喋って、日ごろの悩みを聞いてあげられるような店。
そんな店ができたらいいなと思ってるんだ。だからそのために、久美もちょっとずつお金を貯めてくれてるんだ。
店やったらお前も1回くらいは顔出してくれよな。サイン書いてもらっちゃおうかな。
今、うちの居酒屋にバイトでミュージシャン目指してるやつがいるんだ。「絶対売れたいんです」って俺に熱く夢語るんだ。そしたらさ、樋口の野郎は平気で言うんだ。「諦めろよ! 無理、無理」って。で、俺の目を見てニヤっと笑いやがるんだ。多分心の中で思ってるんだろうな。早く夢を諦めないとあんな風になっちまうぞって。
将来、俺が店をやったら、夢を持つ若いやつとかも沢山来てくれたらいいなと思ってるんだ。夢を諦めた俺だからこそ答えられることも沢山あると思うんだよな。
紺野さんが俺の悩みを聞いてくれてたように、俺にしか答えられないこともあるんじゃないかなって。
こないだこの日記読み返してさ、ドキっとする言葉が書いてあった。紺野さんが芸人やめる時に占い師に言われた言葉。
──夢を諦めるのも才能だ──
そうなんだよ。
夢を諦めることってすげーんだよ。
これ見て思った。
今、毎日働いてて、結局俺には何の才能もないんだな……って思うことがよくある。
10年以上がんばったのに、俺には芸人としての才能もなかった。
だけど、1つ才能あったんだよ。
夢を諦めることができたんだよ。
そうなんだよ。
夢を諦めることってすげーんだよ。
夢なんだぞ。
10年以上追い続けてきた夢なんだぞ。それを諦めたんだ。
すげーんだよ。
これってすげーんだよ。
だから俺には才能があるんだ。
夢を諦める才能。
これってすげーことだよな?
がんばったんだよ。夢のためにがんばったんだよ。
半年や1年じゃない。ずっとずっと追い続けてきたんだ。その夢を諦めるって半端なく辛いことなんだ。
正直、今だって完全に諦められたのかって言ったら、そうじゃないかもしれない。
だってうずくもん。体がうずくんだもん。

俺、この日記で1個ウソついてるんだ。
世田谷公園で最後の漫才した時、辛かった……って書いただろ?
辛かったのも本当だ。でもそれだけじゃない。
めちゃめちゃ楽しかったんだ。
これが最後だって分かってたけど、めちゃめちゃ楽しかった。
だから本当は「お前とまだやりたい!」って言いたかった。
でも言えなかった。言っちゃいけなかった。
あの時に周りにいた観客からもらった拍手のことを、今でもたまに思い出すんだ。
夢を諦めることに比べたら、パチンコ屋の営業だって、ストリップ場の営業だって、めちゃめちゃ楽しい思い出だよ。
だって漫才できてたんだもん。誰も聞いてなくたって、見てなくたって、お前と漫才できてたんだもん。
でももう、これを言うのは今日で最後にする。だから言わせてくれ。
漫才してーよ──!
お前と漫才して──よ───!
田中───!
田中と漫才してーよ─────!!
お前とマイク挟んで漫才してーよー!
俺のとなりでボケてくれよ!
そんで、お前の頭をツッコみてぇよ───!!
お前と漫才してぇよ──────────!!

……今日くらいは書いてもいいよな。
もう二度と言わない。
これで本当に俺は夢を諦める。
だって、何の才能もない俺でも、夢を諦める才能くらいは持っていたいからな!
この日記も今日で本当に終わり。
だから最後にもう1回だけ言わせて。
イエローハーツで漫才して──────────!!

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

文庫「芸人交換日記~イエローハーツの物語~」のご購入はコチラ