仏法談義18――パチモン仏教者の罪 | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 今回は、かなり危険でデリケートな問題を扱う。
 だからこそ、その前に……ボクは徹頭徹尾「ひとはみな平等」という立場であるということをここに宣言しておきたい。

 過日、九州大分にいった時、長年の友人である民俗研究家に当地の旧被差別部落地帯を数ヶ所案内してもらった。なぜなら、そこは開発が遅れているため、却って民俗学的資料の宝庫だからだ。
 そして、彼から被差別の発祥地であり、いまもまだ差別意識が残る関西、そして九州との関わりについて質問を受けた。

 また、いつだったか……テレビを観ていたら、読売放送の番組「たかじんのそこまで言って委員会」で年間バカ野郎選定の「ポンスケ大賞」というのをやっていた。制作者曰く「ポンスケ」というのは重鎮パネラーの三宅氏(故人)の創作であるということだ。
 しかし、これは差別用語である。

 明治時代に山に棲む犯罪集団(為政者側が勝手に設定)とした「サンカ」と呼ばれたひとびとの呼称のひとつで、もともとは「ポンス」「オゲ」「ノアヒ」などがある。
 三宅氏も高齢であり、この蔑称を幼少のころに聞いていて、なんとなく使ってしまい、それに気づかないのだろう。放送局もちゃんと調べないで、放送コードにかからないなら、それでかまわないというスタンスなのかも知れない。

 だから、ここでも敢えて差別用語とされる言葉を使わせていただく。なぜなら「○○」なんて伏せ字にしたら意味不明になるし、実際に使うひとが存在する言葉だからだ。
 でも、冒頭に書いたようにボクに差別意識はない。あくまで用語とご理解いただきたい。

 さて、三宅氏のこのポンスケ「サンカ」を含め、一般の日本人から蔑まれ、差別を受けたひとびとがいた。近代になって、それを同和という言葉で一束からげにして、さらに(政治家を含む)利権の巣窟にしてしまった。そのため実態が分からず、ひとびとも理解が薄い。なんとなく危険、アンタッチャブルの印象だ。

 この「被差別民」と聞いて、まっさきに思い浮かぶのが「エタ(穢多)」「非人(ひにん)」であり「河原者(かわらもの)」だ。
 だけど、これらは「サンカ」とは別系統にある。「エタ」「非人」は徳川幕府の社会統治機構の下にあったが「サンカ」つまり杣人(そまびと=山の民)はその外の存在だ。
 つまり化外(けがい)の民であり、四民平等になっても戸籍に乗らなかった。だから明治政府は徹底的に「それは悪だ」「ちゃんと帰化しろ」とキャンペーンをはったわけ。

 じゃあ機構下にあった「エタ」「非人」とはなんだろう?
 簡単にいうなら職業身分である。それも江戸幕府の設定した「士農工商」の外の身分だ。ここにはほかに「漁師」や「猟師」などの狩猟採集業、旅館や接待(遊郭や茶屋)などのサービス業、清掃業、芸能人、托鉢僧、医者や薬剤師、神主、ヤクザなどなど。
 もちろん、すべてが差別されていたわけじゃない。でも「エタ」「非人」は差別されるとともに怖れられていた。なぜだろう?

 そもそも、そんな身分の民が、江戸時代になっていきなり登場してきたと考えることは不自然である。かならず伏線がある。
 むかし(奈良期より以前)、ひとびとは、いろんなこと(採集も漁撈も狩猟も農耕も)をして、なんとか食物を確保して生活をしていた。だから肉食も普通におこなわれていた。
 ところが大化の改新が起こり、天智天皇が全国的な国家体制の基礎をつくり、これに取って代わった天武天皇が律令国家を志向した。
 律令国家というのは田畑を徴税のベースとする体制である。つまり天武天皇は「農民こそが国民」としたのだ。当然のことながら、農耕を阻害することは禁止となる。
 そこで「肉食(主に牛馬)禁止令」を出す。これを翻訳すると「耕耘機を喰ったらあかん」ということだ。
 しかし、それまでの習慣はなかなか変わるものじゃない。そこに加担したのが、為政者の庇護がほしい仏教者である。「そんな殺生をしたら地獄に堕ちまんでえ~っ」と、キャンペーンに協力したわけだ。

 せやけど耕耘機もいつかは死ぬ。でも肉食はあかん。
 そこで負けじと神道者も「穢れ」意識を注入。だって天智の時には庇護されてたもんね。
「死体に触ったらエンガチョが移って大変やで~っ」
 だけどそれじゃあ皮革産業が成り立たない。牛馬の死体を処理するひとびとがいる。でもって、専門業者を設定する。
 エタ職の起源だ。
 だけど、だれだって、こんなヤバイ仕事をしたくない。そこで「ほかに生きる道のない」連中をこれに充てる。それはまずは被征服民である。さらに放免(前科者)や一家離散したひとびとだ。

 ところが奈良期の末になると旱魃や飢饉などが起き、これが「とっても縁起悪い」とされ、その原因が政界トップの争いによって敗れた者の祟りと考えられる。
 桓武天皇が恭仁京、難波京へとオタオタする。やがて平安遷都がおこなわれるが、京都はハナから怨霊が跳梁跋扈する都としてスタート。
 これをなんとかするために難民救済をモットーとし、診療所をつくったり、ホームレスのシェルターをつくる。また汚穢を集める場所として鴨川河原を設定し、祇園社や下鴨神社に事業を委託する。
 すると鴨川の河原は絶好の死体放棄地となる。難民が集まるようになる。さらに病人の捨て場になる。この病人で代表的な存在がハンセン病患者である。
 ここにも仏教が暗い影を落とす。
「現世でこんな難病に冒されるのは前世で悪いことをしたからだ」
 だから現世の姿は前世の業として悪人扱いされる。本当の仏教は輪廻転生を謳っていないのにね。このように非人が形成されていった。

 こののち鎌倉や室町、戦国時代を経て、徳川家康が江戸幕府を開く時に矢野弾左右衛門などを登用して、裏社会統治システムとして活用していくのだが、それはまた別の機会に……

 さらにポンスケたちは化外の民。士農工商・穢多非人の埒外にある。仏教の救いが及ばないどことか、獣と同等扱いだ。カタチはひとであっても、ひとじゃないから、蹂躙しても問題ない。成仏できる存在じゃないから、なにをしてもかまわない。
 実態は同じ日本の土地に住んでいて、たまたま為政者側の管理下じゃなかっただけなのにね。それで明治には、山の洞窟(窩)なんかに棲んでいて、時々、ひとの世界に降りてきて悪事をはたらく獣人として「山窩(サンカ)」という呼称になる。

 いずれにしても、時の為政者に媚びたパチモン仏教者が、日本での差別が発生する一翼を担ったことは事実だ。

 だからこそ、ヴァルナ(カースト制)の外にあったアチュート(不可蝕賤民)に救いの手を差し伸べた「ひとは生まれながらに仏性を持つ平等な存在」という仏陀の教えの根本を考え直してみていいのじゃないかなあ?