仏法談義12――「冥福を祈る」ということ | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 質問を受けた――
 冥福を祈るって、なにをどう祈ればいいの?

 曰く……「東北関東大震災で亡くなったひとびとのために祈ろう」といわれ、自分もそうしようと思うんだけど、いったい全体、どう祈ればいいのか分からない。
「安らかにお眠りください」でいいのかなあ? それとも「あちらの世界で、お幸せに」が正しいの?

 たしかに「冥福を祈ろう」とはいうけど、「こんな風に祈ろう」とはいわない。みんな、黙祷を捧げたり、お経を詠んだりするが、その時にどんな思いを発しているのか? いまひとつ分からない。

 そこで、ボクなりの答えをした。

 仏法では「生老病死」という、よっつの苦を設定し、その克服を目指す。そして、なぜ人生にそんな苦が設定されているのかというと、その克服こそが、人生のテーマであるとするからだ。つまり人生という授業の課題である。

 言い換えるなら、ひとは色んな課題を抱えて生まれてきて、人生で課題提出を果たして死んでいく。ところが課題に及第点を取れないと、また生まれ変わって、及第を目指さないといけない。
 だから仏法が掲げる最終目標は、すべての課題をやり遂げ、転生という輪廻から卒業すること。これを涅槃という。

 そんな人生という学校で、いちばん畏怖されるのが「死」である。
 なぜなら――生まれるということは死が約束されること、老いることは死に近づくこと、病気になると死の可能性が高まる……だから、ひとは「死」を忌む。まあ(得体が知れないから)怖がるわけ。
 でも、このことを逆に見るならば「死」は今生の卒業でもあるわけ。課題に及第したかどうかは別にして、ひとまずの卒業であることはまちがいない。

 ところが天災や事故の場合、あまりにも突然のため、亡くなった本人が、死んだこと……つまり、卒業したことを分かっていない場合が多い。すると、すんなりとつぎの課程に入れない。下手をすると自縛霊や浮遊霊になってしまう。
 当然のこと、このような事態でなくとも、自分の死を受け容れられないで――俗にいう「成仏できない」存在も同じといえる。

 だからボクは「冥福を祈る」とは――
 あなたは今生を卒業しましたよ。本当にお疲れさまでした。さあさ、つぎのステージにいきましょうね(^_-)
 と、ねぎらい、語りかけ、伝えることだと思っている。