質問を受けた――
冥福を祈るって、なにをどう祈ればいいの?
曰く……「東北関東大震災で亡くなったひとびとのために祈ろう」といわれ、自分もそうしようと思うんだけど、いったい全体、どう祈ればいいのか分からない。
「安らかにお眠りください」でいいのかなあ? それとも「あちらの世界で、お幸せに」が正しいの?
たしかに「冥福を祈ろう」とはいうけど、「こんな風に祈ろう」とはいわない。みんな、黙祷を捧げたり、お経を詠んだりするが、その時にどんな思いを発しているのか? いまひとつ分からない。
そこで、ボクなりの答えをした。
仏法では「生老病死」という、よっつの苦を設定し、その克服を目指す。そして、なぜ人生にそんな苦が設定されているのかというと、その克服こそが、人生のテーマであるとするからだ。つまり人生という授業の課題である。
言い換えるなら、ひとは色んな課題を抱えて生まれてきて、人生で課題提出を果たして死んでいく。ところが課題に及第点を取れないと、また生まれ変わって、及第を目指さないといけない。
だから仏法が掲げる最終目標は、すべての課題をやり遂げ、転生という輪廻から卒業すること。これを涅槃という。
そんな人生という学校で、いちばん畏怖されるのが「死」である。
なぜなら――生まれるということは死が約束されること、老いることは死に近づくこと、病気になると死の可能性が高まる……だから、ひとは「死」を忌む。まあ(得体が知れないから)怖がるわけ。
でも、このことを逆に見るならば「死」は今生の卒業でもあるわけ。課題に及第したかどうかは別にして、ひとまずの卒業であることはまちがいない。
ところが天災や事故の場合、あまりにも突然のため、亡くなった本人が、死んだこと……つまり、卒業したことを分かっていない場合が多い。すると、すんなりとつぎの課程に入れない。下手をすると自縛霊や浮遊霊になってしまう。
当然のこと、このような事態でなくとも、自分の死を受け容れられないで――俗にいう「成仏できない」存在も同じといえる。
だからボクは「冥福を祈る」とは――
あなたは今生を卒業しましたよ。本当にお疲れさまでした。さあさ、つぎのステージにいきましょうね(^_-)
と、ねぎらい、語りかけ、伝えることだと思っている。