ポジティブに考えたら、あかんねんよ! | 魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

魔法の言霊――寿詞(よごと)説法師が贈る人生のヒント

おめでとうございます!

『魔法の言霊(東方出版刊)』の著者・橘月尚龍です。
ボクが、この本を上梓したのが2002年――
それから世には同様の表現があふれて玉石混合で、
わけ分からん状態になってます。

そこで本家としてのメッセージを発信することにしました。

 ちょっとむかしに「ポジティブ・シンキング」という考えかたが流行した。そして、いまだに「ポジティブ」であることが善であって、正しいという風潮が世間を覆っているきらいがある。
 これまた前回に述べた「潜在意識と顕在意識」と同じように二元化による罠が存在するのだ。そう「ポジティブ」対「ネガティブ」という設定である。

 これについてもボクの著書『ごめんね、でも愛してるよ! ―「鬱(うつ)」から大切なひとを救うため、あなたができる魔法(こと)―』に適当な個所があったので引用しよう。


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 ……前略……あなたは「あるがまま」を受け止めることが大切だ。そこにポジティブもネガティブもない。あるのは「あるがまま」である。
 だから正確にいうなら「ポジティブもネガティブも考えない」ということ。もっというなら「考えない」となる。
 ひとは「ポジティブに考えよう」と思うと、ポジティブを探そうとする。「これはポジティブ」「あれはネガティブ」と選り分け作業がはじまるのだ。するとネガティブにもスポットライトが当たってしまう。まさしくパラドクスだ。
 なぜなら、ポジティブとネガティブはコインの裏表だから――そのコインの裏側だけを捨てて、表だけを取り出すなんて無理な話である。だったら、コインそのものを捨ててしまうこと。そうすれば煩わされずに済む。


 ……中略……


 (ポジティブとネガティブの)分類はない。ただ「あるがまま」が存在するだけのこと。それ以上でも以下でもない。

 ……中略……


 だけど、そこにあるのは事実に過ぎないことに気づこう。けっして真実ではないのだ。真実はいつも、あなたの中に在るのだ。
 このことを識れば、あなたは「ポジティブもネガティブない」ことが分かり、スーッと力みが抜け、手を放すことができる。


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 同様のことをボクは著書『魔法の言霊(東方出版刊)』でも述べている。


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愛情と信念を捨てよう


 こんなことをいうと、あなたは「?」と感じるかも知れない。愛情と信念を捨てることを勧めるボクに「気が変になったのじゃないか」と思うことのほうが普通の感覚だと、ぼくも思う。あなたの感じかたは決して狂っていない。それが一般的なのだ。でも、魔法使いは一般的ではないから魔法使いなのだ。

 そこのところを解説をするので、しっかりと読んでほしい。

 愛は存在そのものであるが、愛情はひととかモノとかといった対象物を持つ。対象物を持つと所有欲が起きる。所有欲が起きると、あなたは勝手に対象物を理想化してしまいがちになる。


 例えば対象物をひととしよう。そのひとにあなたの理想を押しつけ「こうであってほしい」と思うようになる。「わたしが、ここまでしてあげてるのだから」と、相手に勝手な期待をするようになる。でも相手も自由だから、かならずしも、あなたの期待どおりにはならない。すると「こんなに愛して、尽くしているのに……」と不平不満を生む。愛憎とはよくいったもので、その不平不満が高じると憎悪に変わるのだ。
 つまり、愛情と憎悪とはコインの裏表みたいな不可分の存在なのである。あなたが愛情を深めれば深めるほど、知らず知らずに憎悪も大きくなっているのである。光が強いほど闇は濃くなるのと同じだ。

 相手が、あなたの愛情に応えてくれているウチはいい。いや若干ズレていても、あなたは「きっとなにかのまちがいだ。こんなひとではない筈だ」といいほうに解釈してしまう。でもそれは、現実を知って、自分が傷つくことに対する恐怖の裏返しであることには気がつかない。そしてますます愛情を発揮する――こういうと聞こえはいいが、単に執着心を増大しているだけのこと。
 やがて、あなたの愛情を裏切る行為があると、あなたの愛情のコインはくるりと裏返り、存分に増大した憎悪に変貌する。憎悪は怒りを呼び寄せ、すべてを台無しにしてしまう。


 信念も同様だ。一般に「信念のひと」なんていうと、すごく立派な人物のような感じだが、ボクはゾッとする。どうも「執着の強いひと」「執念深いひと」という印象を拭いきれない。自信は大切だ。自分が自分のいちばんの理解者で、ファンでないといけないと思うから。でも信念とは信じて念を持つことだ。
 信じるとは目標を持つ。つまり信じようと努力することだ。この努力が問題だ。信じようとすればするほど「信じなくちゃあ」という思い、つまり不信を増殖させる。念を持つことも、右記の愛情に近い。自分勝手な念い=思いを持つことになる。このこともコインの裏表なのである。非常に危険だ。ひとたび「?」が生じると、いつでも不信に変貌する可能性を孕んでいる。


 では、どんな風に考えればいいのか? 単に知ってるか知らないがいい。そのほうが明快だ。あなたとボクが友人だとしよう。あなたがボクのことを「信じる」と言った時、ふたつの意味がある。ひとつは「ボクの言っていること」を、もうひとつは「ボクのひとがら」を信じるということだ。
 それでボクの言ったことをして、うまくいかなかった時、あなたは「信じたのに……」と責任をボクに転嫁する。ボクのひとがら(あなたの勝手に描いたモノ)については、あなたの思いどおりに動かなかったボクに「そんなひとと思わなかった……」となる。

 よ~く、見てほしい。ここには「あなた」がいないのだ。あなたの人生ゲームの主役は、あなたの筈なのに……。


 あなたを主役に据えたらどう変わるか? ボクの言ったことを「なるほど」と、あなたが思って、あなたが自分自身のこととして行動した。結果はあなたのものだ。いい結果なら、ボクに「ありがとう」だし、悪い結果ならボクに対して「やめておいたほうがいいよ」となる筈だ。

 人物像のほうは、あなたがボクに期待したとおりに行動したなら、あなたの予想が当たった。反対なら、はずれたというだけのこと。そしてあなたは「ボクが、こういう人物なのだ」ということを知っただけだ。さらに、この知ったことは、ある一面に過ぎない。よく犯すあやまちに、一面だけ見てすべてを知った気になる場合が多い。あなたは神さまではないのだから、すべてを知る由はないことを忘れるのだ。そんな気になった時、かならず妖怪(傲慢や偏狭、偏見)が、あなたの耳元にいる。


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 この『魔法の言霊』書き下ろし時代のボクは、まだまだ勉強が足りなかったので「知っているだけでいい」といっている。このこと自体に変更はないんだけど――ここでは、もう一歩踏み込んで「受け容れる」ことからはじめよう……である。

 この世にはポジティブもネガティブもないんだ。あるのは、あなたとあなたが相対する事象だけ。そこにポジティブだとかネガティブだとかのラベルを貼ろうとするからおかしくなってしまう。だって、それはあなたの心象風景に過ぎないから……。


 だったら素直に「受け容れる」ようにする。そして、それがうれしいことだったら歓べばいいし、哀しいことならば泣けばいい。

 なのに「ポジティブに考えなくっちゃ」なんて思うから、こころの裏側で「ネガティブ探し」がはじまってしまう。

 ちがう、ちがう。
 そこには「あるがまま」以外に存在しない。そして「あるがまま」を受け容れることで充分なのだ。すると、あなたは拘泥せず、手を放すことができる。