母が入院して
もうすぐ3ヶ月になります。
認知症状が出てきている母ですが
いったん病院を
出ることになります。
父は片目は失明。
もう片方は失明寸前。
今後の生活を考えて
介護施設を調べて
問い合わせたり
資料を集めたりしています。
ヘルパーさんの手配
診断書の手配
保険会社や役所や
銀行の手続き
ヘルパーさんの手が入らない
実家の諸々の家事など
やることはてんこ盛りです。
今度
施設の見学に行ってみる?
数年前にも
何件か説明会に行っています
父にそう言ってみた時に
返ってきた言葉は
まぁ、また
ひやかしに行くのもいいね。
ひやかし?
こちらは日々
真剣に考えているのに
ひやかしだと?
母は洗濯機の使い方を忘れ
料理をしていることを忘れ
焦がして煙が出ていても
慌てもせず
それを見ている状態なのに?
危機感がまるでない。
数年前とは
状況も違っているのだ。
”気を楽に持つこと” と
”お気楽なこと"は わけが違う。
言いにくいことであっても
こころを鬼にして
何度も何度も伝えているが
母の認知症状や
介護施設の話をすると
父は少し舌を出して
左右に動かす。
それは 右でも左でもない。
つまり、
あまり真剣に考えたくない
というしぐさ。
帰りの車の中で
時々いたたまれなくなって
涙が出る。
言いすぎた自分を
反省することもある。
そのあとに
まるで言い聞かせるように
ひとり言。
皆にとって
学びとなる流れがあるのだ。
最適な流れがあるのだ。
それを経験しているのだ。
親に対して
冷たいかもしれないけれど
実家の氏神さまに
お詣りする時も
わたしは
両親に長生きしてほしいとは
お願いしないのです。
最善の流れがありますように・・
父の身体が
もしも もっと悪化したなら
母はおそらく
精神的に耐えられないだろう。
一人の状態にも
耐えられないだろう。
ならば
認知症であることが
悲しみや寂しさを
まるごと背負ことから
軽減してくれる術のひとつに
なるのかもしれない。
いや、それはあくまでも
わたしの勝手な考えなのかな。
そんな日々の中
以前にもご紹介したことがある
カリーナさんのブログの
この記事を読んだ時
http://proage.blog66.fc2.com/blog-entry-1075.html
深く共感できるものがあった。
それは
経験したものだからこそ
わかる思いなのかもしれない。
この経験も
わたしという樹木の
年輪に刻まれてゆく。
外はとってもよいお天気
光を浴びに行こう






読んでくださりありがとうございます
いつもありがとうございます