先日打合せのあと、夜の銀座~新橋をフラフラしてたときのことなんですが。
銀座八丁目では煌びやかなネオンのもと、夜の蝶たちが輝いておりまして。
ソレを横目に新橋ゾーンに足を踏み入れたんです。

何かが違います。


人間?
におい?
街並み?


わかりません。
わかりませんが、何故か安心します。


そんな最中、一軒の屋台が目に飛び込んできました。
暖簾には、


おでん


そう書かれております。
非常に分かり易い。
まわりではカップルがオシャレな店先でメニューを凝視してるというのに。


おでんか・・・
いいんでない?
ひとりで物思いにふけるにはもってこいだ。
ちょっとやさぐれてみようかな。

そんなわけでひとり屋台のゴングが鳴ったのです。
「かーん」


ロープもとい暖簾をくぐり、いざ決戦です。

ちなみにおでんの屋台は、昔おとな(ウェスティンホテル在住)←たぶん危ない橋を渡っていた

に連れてってもらったのが最後でそれからは行ってません。

もちろんひとりで行くのも初めてです。

ですからボクのおでん屋(屋台)はすっかりマスメディアによって完成されていたのです。
①演歌が流れている
②酔っ払った客がクダを巻いている
③店のオヤジが頑固である


検証
まず、①
最初に耳に届いた曲
「SAY YES」 byチャゲ&飛鳥(1991年)
次に耳に届いた曲
「どんなときも」 by槙原敬之(1997年)
三曲目
「ラブ・ストーリーは突然に」(1991年)


???


確かに古いけど。
何か、ドラマっぽい。


そうか。
おれが主役(トレンディードラマ風)で、このあと何かハプニング的なことが起こるんだ。
偶然の出逢いとかね。


(妄想中)

ま、いいや。


そして、②
男性2人組がスタイリッシュに飲んでいる。

「最近○○、露出度高いね」

「確かに。やっぱりギャラもそれなりらしいよ、大体1本がミニマムかな」

「フーン…」


業界だ。これは彼らの身なりからしても業界人だ。
ノーネクタイに柄シャツ。
間違いない。

ま、いいや。


最後に、③
愛想笑いこそないが、とても丁寧だ。
何しろ大根とかはんぺんが食べ易いように切り刻まれている。
明らかに女性も視野に入れた配慮である。
丁寧だ。


熱燗もわざわざ容器をもって入れに来てくれる。
確かにオヤジではあるが、頑固さは感じられない。
おでんは美味しいのだが、いかんせんわびさびの類が欠如している。
ウーロンハイとかも缶で出てくるし。 

ま、いいや。


いや、よくない。


コンナハズデハナカッタノニ。


そんなこんなで気が付けば酔っ払いに。
寂しくなり電話で知り合いを呼びました。



ひとり屋台終了。

9754202a.JPG 「忘年会どうする?」

「えっ?もうそんな話?」
「ほんと早いよなぁ。一年…」

なんて会話が交わされた最近の、というか毎年の話なんですけど。


早いですよね。
時が経つの。

ボクなんて、つとに感じるんです。

31歳。
独身。
ヒトリミとも読みます。

こないだ30歳迎えたばっかだった気がする。
まぁ、生きている限り明日はやって来るのでしょうがないんですけど。

問題は中身なんですよ。
中味。
ナカミ。

寝るトコがあって、食べ物に苦労しないで、仕事に就くことができて、お給料貰えて。
交通機関があって、安全で、どこへでも行けて、誰とでも会えて。
休みがあって、仲間がいて、酒呑んで、バカやれて。
家族がいて、大好きなおじいちゃんとおばあちゃんが生きていて。

そしてなにより健康で。

要は、当たり前に生きているんです。
あって当然、出来て当然、いて当然、生きていて当然。

そのくせ何かあったら不平不満言ってる自分がいる。

平和ボケです。完全に。

突然震災がやって来て、住む家も食べ物も家族もなくなったら。

考えただけで恐ろしいです。

突然テロが起こって、住む家も食べ物も家族もなくなったら。

考えただけで恐ろしいです。

けど、被害を被った方たちがいるのも事実。
その人たちは気付いたんだろうなぁ。

「当たり前」という怖さに。

よく、病気になってはじめて健康の大切さに気がつく、
なんて言うじゃないですか。

ボクは小さい頃からとかく病院にはお世話になってたクチなんですね。
病院スタンプラリーなんてあったら、ハンコだらけです。
何か貰えそうです。

でも喉元を過ぎて、その辛さも風化してしまったのかも知れません。
そして欲目が出て、目の前にある小さな欲を追っかけてるんです。
ほんとに小さくてくだらないかも知れない欲を。

辛かったこととか、支えてくれた人たちへの感謝の気持ちとか、
忘れた訳ではないんですけど、こころに留めてないと言うか。

ダメだなぁ。

よし、決めた。
今日から当たり前をやめる。

目の前のあるご飯粒には魂が込められている。
いつも誰かに支えられて生きている。
いや、生きてるんじゃなくて、生かされてる。
そう思おう。










ちなみに、ほんとにそう思ったのはおととし富士山に登ったときのこと。
そりゃまぁヒドい高山病にかかり、頭がイタイ。眠い。苦しい。

空気吸いたい…。

そしてやっと辿り着いた8合目の山小屋売店で発見。

『酸素缶』
2100円(税込)

に、にせん!?
※地上では3分の1程度




もちろん買いました。
背に腹は変えられませんので。

「おい、酸素に金出してるよオレ。」




山頂で売ってる水は500円。
富士山の湧き水でも何でもない
いわゆる、
『volvic(軟水)』




こちらは買いませんでした。
あたたかいコーンポタージュを飲んだので。


睡眠<水分<酸素
こちらの永久不変の公式が富士山登山で完成。

空気みたいな存在はイヤですが、
空気の存在は欠かせません。
当たり前に有難いです。




最後に。
いつも当たり前の太陽ですが、
いわゆる、「御来光」はスゴイです。


これを見ずして死んではいけません。