地震編その4

ボクのblog UP係のKEN 君( 写真右側の妙になが~い人物)
からmail あり、原文のまま記しますね.........
「 象郎さん
いま、「不謹慎」というワードがちょっとした流行語です。
こんな非常時に、音楽、お笑い(ユーモア)、藝術の話なんてもってのほかだ、
被災地では今にも飢えや寒さで苦しんでいる人たちがいるんだ、
そんな人たちに不謹慎じゃないか、
というわけです。
今回は くれぐれも、”オフザケ”なしで、
こういった謹慎中の方々をROMPAして頂きたいです。
KEN.」
この手のアジテーションには、即反応する象の性格を知り抜いている
KEN 君のリクエストに答えこれからblog ります。
さて、不謹慎とは何か ?
その正確な意味( 概念)を「広辞苑」で調べてみた。
「広辞苑」は有名な辞書である、日本国に於いては言語の正確な
意味を記してあることに於いては「旧& 新約聖書」「コーラン」
「ハムラビ法典」「デカルト・方法論序説」「ヘーゲル・弁証法」
「サルトル・存在と無 ( または猿の捕獲法)」ETC ETC.
より遥かに権威ある書物である。
上記の全ての書物を原語で読破した象が言うのだから間違いない。
まずは「不謹慎」を調べてみた。
1)つつしみのないこと
2)ふまじめ
とあった。
次に「慎み」を調べてみた。
1)慎むこと。控えめに振る舞うこと。
2)江戸時代、武士や僧侶に科した刑罰の一つ。
(家の中に籠居して外出することを許さないもの)
3)物忌み。斎戒。
上記の概念をベースにこれから論破を始めましょう。
* 非常時に音楽、お笑い、藝術は果たして不謹慎か ? ?
そもそも「非常時であること」と「音楽、お笑い(ユーモア)」を
同次元・同一線上に並べて論ずる事自体が極端に
ナンセンスでアナクロニズム(時代錯誤)でさえある。
人は非常時の極限状態に置かれた時こそ音楽やユーモアが人々の
心の救いになっていることは歴史が証明しているではないか。
例えば、日本で言えば戦国時代に敵味方睨み合いの開戦前夜に
優雅な笛の音が奏でられているという逸話がある。
それをイメージしてみてそのシーンに
心打たれない人間は人間ではない ! !
戦争報道写真家として世界的に有名なロバート・キャパは
凄まじい戦争の最中で常に最前線に赴き塹壕の中で震え上がっている
兵士たちへユーモア溢れる言葉・態度で彼らの緊張をほぐしていた。

ロバート・キャパのいたずらっ子のような表情を見よ ! !
次の写真はキャパを一躍、世界的報道写真家にした
かの報道写真の歴史的古典となった”斃れゆく瞬間の民兵”である。

この民兵は当時の大ヒットソング「ラ・クカラーチャ」を
大声で歌いながら岩陰から飛び出して来たのだ。
このように戦争という極限状態に於いても音楽は人々を
勇気づけ、または癒しと安らぎを与える偉大な効果を
もたらしてきたことは枚挙に厭わない ! !
その音楽のどこが「不謹慎」なんだ。
不謹慎と言ってる奴らこそ「謹慎」しなさい。
家の中で象が「よろしい」というまで蟄居(ちっきょ)、
つまりジッと閉じこもって居なさい ! !
,,,,,,,,ところが街の様子を見ると皆さん蟄居どころか、
コンビニやスーパーで他人のことなどお構い無しに
食料やトイレットペーパーを買い占めにかけずり回っている。
中には火事場ドロボーのように一儲けを企んでいる輩が徘徊している。
こんな偽善的な輩のどこに慎みがあるんだ。
と、思いませんか? ? みなさん! !
作業着の襟を立ててテレビに出演し、したり顔をして
「? ? ? ?シーベルト」などと訳の判らない言っている政治家こそ
不謹慎の極みだと思いませんか? ?
,,,,,,,,,,,,そうだ、KENちゃんのリクエストは「RONPA」だったっけ、、
この際「RONPA」なんてどうでもよくなっちゃった。
これだけ書いて判らない人はどうせ死ぬまで判らないだろうし、
論破の必要もないことに気が付いたので
このブログはこれでやめることにする。
~~~あぁ~あ、疲れちゃった~~zzzzzZZZZZZZZZZZZZZ...
うちの煌子の泰然自若とした様子を見て
「謹慎」している人は反省の糧としなさい、、! !

象 (目下謹慎中?)