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【麻生太郎氏の「冷や飯のおいしい食い方」トーク紹介され羽鳥アナ「おそ…恐ろしい会話ですね」 日刊スポーツ2024/9/30(月) 11:39配信】
◎上記に対する私の投稿
◎おすすめ順の私の順位/総投稿数=60/217=27.64(2024/10/1 10時30分現在)
◎投稿文 16時間前
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正しく日本は「平和ボケ」。
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今回の総裁選で一番問題なのは「冷や飯の食い方」ではなく
「政治=人」が対象。
にも拘らず
人を包み込むことができない、石破、高市、小泉進次郎を「我々がビッグスリー」に選んでいることです。
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これは、政治家の責任ではない。
「田崎さん等自由人」、「玉川さん、羽鳥さん等マスメディア」、「そして我々」の責任だ。
★いま一人の罪人は、行動基準を「美意識」ではなく「法」に置いた「選挙のプロ」だ。
その介在が縦(心)のない、横(見た目だけの、聞いただけの理解しかできない社会ではテレビに出たり、派手な行動を取ったり、つまり肉体を提供するのが最も有効な手段となる←1989/9/19記)。
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我々の欠乏(裏金への不満)にその宗教(SNS)が侵入し、我々は自分を見失った結果、「政治=人」から「最も遠い人達を選んでしまった」のだ。
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縦の喪失が35年を経て顕在化したのだ。
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既述のように政治家は
1政治家の背負うもの「自分(=当選)」だけ
2順法なら全て免責
3その「法」は政治家が決める
4政策の結果、企業が倒産しようが、失職しようが、戦争で亡くなられようが「政治家の歳費は○○もらえる」。
しかも、「説明責任=言い訳」で無罪放免。
5つまり、政治家は「権力を持った無法地帯の住民」なのだ。
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上記投稿は、ますます頻発する、例えば2024年9月28日に東京練馬区で起きた「闇バイトによる事件」=「愛の無機質化」のことを言っている。
「権力を持った無法地帯の住民」だから、「火の粉」を自ら被ることはない。
総ては「間接経験」だから、「法」を「体で考える」ことはなく、総て「頭」で考えてつくる。
例えば、「国防」ならぬ、身近な「個防」では、「解雇規制の緩和」などと「愛の無機質化」を助長するようなことを、平気で言える。
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「企業連合国家」のもう一つの働き
私は、日本の経済復興は「村」が大きな働きをしたと思っています。
今日においても、例えばプロ野球の監督さんは「一丸となって」と言われても「バラバラに」とは言われない。
それは、「プレー」においても、「心の在り様」においても「バラバラ」ではなく「一丸」であることだと思う。
つまり、自然な形で「アレに向かって」、「行動基準」が形成されることを意味する。
「企業連合国家」においては、小難しいことではなく。単純に「道に外れたことをすれば、おまんまの食い上げ=退職」になるということ。
では、「一丸」とか「おまんまの食い上げ」等の縛りが「個人の自由な発露を狭める」であろうか?
以下
「掟の中での自立」と「個人としての自立」(2023/8/4投稿の部分再掲)
うまく表現できているかどうか、わかりませんが、後者は、総裁選にも出られた高市早苗さんの、当事者であるにもかかわらず、二度にわたる「蚊帳の外」発言をイメージして書きました。
前者は、半世紀以上も昔で正確かどうかわかりませんが、たまたま業界の担当者懇親会で聞いた話からイメージして付けたものです。
オイルショックの時、買占めで、トイレットペーパーが店頭から消えました。そんな時、その担当者は、たまたま新聞社から商品本部長への取材依頼を受け担当者として立ち会ったそうです。なぜそうなったかは聞いたと思うけど忘れてしまい覚えていませんが、話の流から本部長が「ラーメン販売停止」と言ったそうです。その担当者は「これは大変。即上司に報告しないと」と思い、取材終了後「慌てて電車に飛び乗り」帰社しました。しかし、途中で、理由は忘れましたが「首になっても、まあいいか」と気が変わり部下に「直帰する」とだけ連絡を入れ、そのまま帰ってしまったそうです。
あくる日、出社すると、会社は、蜂の巣をつついたように、大混乱していたそうです。商品本部長とその担当者以外、誰も知らない記事「○○社ラーメン販売停止」の見出しが躍っていたからです。本人がそこまで計算していたかどうかは、忘れましたが、たまたまその日、役員会があり、全国から社長さん方も本社に来ておられた。役員会では、商品本部長は、他の役員さんから、袋たたきにあったそうです。当然で、10時の開店までに、全国の店頭からラーメンを撤去しなければならない。その大混乱の中、その担当者の上司である社長室長は立ち上がり「私の部下が立ち会っており、総ての責任は私にあります」と発言されたそうです。社長の前で「社長室長」にそう言われれば、他の役員さんもそれ以上追求出来ず、関係部署に連絡を入れ、事なきを得て開店に至ったという。
その話を聞いた時、その「社長室長さん、すごいなぁ」と思ったのを覚えています。直接の責任者である自分も、他の役員同様、何も知らないまま「総ての責任は私にある」と責めを負い「開店」へと流れを転換された。さらに、普通は、その後、担当者を呼び「注意」くらいすると思うけど「この件に関して一切言及なし」だったそうです。社長室長といい、首覚悟で直帰する担当者と言い「世界一になるだけの理由=掟など無視してみんな思い通りに自立し、またそれを受けとめくれる自由度」があったような気がします。
一方、今はどうか。少なくとも、総理を目指す方の「蚊帳の外」発言(=あるのは自分だけ)は「社長室長」と比べて「余りにも貧弱」(以下略)。
つまり「頭で考えた言葉遊びとしての自由な世界(※1)」よりは「掟=縛り=価値観の共有=行動基準=美意識」のある方が「自由度、と掟を破るエネルギーが生まれる」ということです。
その「掟」を形成しやすい、また現に存在するのは「企業」です。
現実に合わせて「企業連合国家」とするしかない。
現政治家の作る「法」は安倍内閣の「いじめ防止対策推進法」を持ち出すまでもなく「必ず失敗する」と思ってよい。
なぜなら、既述のとおり「頭で考えるから」だ。
それで「万事OK」となるかどうか、いずれにせよ「企業連合国家」でやっていくしかないと思っています。
少なくとも「企業連合国家」の「掟」は「宗教(SNS)侵入の防波堤」になるはずだ。
※1
私の経験する限り、多様性か何だか知らないけれど、「個人」が大切にされて育ったはずなのに、どちらかと言うと「自分を確立している」と言うよりは、「自分探しの迷路」でさまよっている人が、女性に多いように思う(※2)。
私の育った村では「そんな女性はいなかった」。
みんな、とても逞しかった。
と言うよりは、「目の前のやるべき仕事に追われ、そのなかで自然と逞しくなった」と言うことだと思う。
※2
プロ野球の選手等々を除けば、男は鈍感だから「自分探しに気づいていない」と言う事かも知れない。
2024年10月3日 井筒屋 弟二郎