選挙で投票用紙に、孫(ソフトバンク)さん、三木谷(楽天)さんと書こう勝手連2-(3)

 

(3) 企業連合国家

 

☆流動する首相候補第一位

 立憲民主党の枝野さんは、かって世論調査で首相候補第一位でした。今は河野太郎さんが人気のようです。

 なぜ、その時々でコロコロ変化するのでしょう。

 身近で実際を知ることのできないものには、自分の願望や想像を膨らませて色付けしたり、あるいは女性は女性特有の感性で相手を見てしまうのかもしれません。そしてその幻想は幻想ゆえに、永遠に追い続けられ、このコロコロにより、私たちの実生活もふらふら揺れ続ける。時には、このコロコロの中から我々が経験済みのお化け(世界を相手に戦うという、身の程知らずなこと)も現れた。

 今またこのお化けの尻尾がチラチラしています。身の程知らずの日本は本当に借金を返済し終えたのだろうか。

 橋を屋根替わりに利用した小屋で住んでた家の長男が村の農協に押し入り、捕まり服役する。出所したその日、どういう訳かいの一番に私の兄を訪ねて来た。その時、私は小学3年生くらいだったと思う。たまたまその青年と目が合う。何とも言えない、はにかんだような、ばつの悪そうな笑い顔で私を見た、その人の姿を今もって拭い去ることができません。しかも、私は、その弟さんの凄惨な死にざまを知ることになる。

 彼らが、どんな経緯で朝鮮半島から日本にてやって来て橋の下で暮らし、そのような人生に行き着くのか、詳しくは知りませんが、少なくとも私には完済したようには思えません。

 たとえ、あかまんまの世界であっても、大義名分を掲げる限り人が何人死のうが関係ない。記述の通り、大噓つきの担当大臣でも咎められることなく人気者で居られる。

 それは、札束用輪転機を持たない企業には必然の、幻想のないほぼ実利という投票(=購入)によって決まる「赤字」というチェックをうけないからだ。今の仕組みは、やはり変てこりんというしかありません。

 

☆人間カメラ36枚撮り論

 ところで「選挙で選ばれた人が決める。官僚はそれに従え」というのは正しいのでしょうか。

 それを単純化して「首相を直接選ぶのは是か非か」について考えて見た時「人間カメラ36枚撮り論」というものがありまして、それを当てはめると、比較的簡単に「非」となります。

 政治を行うというのは色々の要素を判断し、上手に裁かなければならないと思うのですが、それらを感じ取る感光紙は少ないより多い方がいい。ただそれはスポーツのように白黒のハッキリしたものでないので誰しもが感光紙を意識せずに振舞います。

 人間も所詮機械ですから、感光紙の枚数は機種(=人)それぞれ限定枚数。しかし無意識ですから無限枚数(女性登用はその典型←※後述1)として考え行動します。そこに齟齬が生じ、失敗という形でカウンターを食らいます。私などはこの繰り返し。もっとも、このことは悲嘆に当たりません。何故なら、食物がガソリンとしても点火はこの齟齬。これこそが本当のエンジンだからです。

 

☆ところで「人間カメラ36枚撮り論」を図示すると次のようになります。

 

                   感光紙の数      E列から見た関係

   A列       〇         36枚            喧嘩

   B列      〇〇        30枚          嫌悪

   C列      〇〇〇        24枚        尊敬

   D列     〇〇〇〇       18枚      評価

   E列     〇〇〇〇〇       12枚    

 

 上図で、政治を行うのはE列の人よりC列の人、C列の人よりA列の人の方が適材です。形はピラミッド型になるのが理想です。

 やっかいなのは、目に見えないものですから「E列の人は、D、C列の人を評価できてもB、A列の人を評価しない」ということです。というよりE列とA列は喧嘩になる場合が多く、うまくいきません。

 E列の人から言わせると、見えないものをあれこれ言うA列の人は「ウザイ」と言うことになるしA列の人もいずれは「堪忍袋の緒」を切らしてしまいます。

 EA関係はうまくいきません(「予言者はその国に受け入れられず」)。

 二人の磁場のぶつかり合いは、時として心神喪失をきたし犯罪に至ります(勿論、当事者はそのことを十分認識しているけれど、その磁場から離れてたくても、行き場がない、というのが現実かもしれません。掃除屋の岸田さん、なんとかなりませんか。「休耕田は無税にし白線区画とトイレと水道と見回りと住所の認定、衣食住は自分で賄え。同じく空家も無税。前者は男性。後者は女性。役所を通さず国が整備し、ただひたすら所有者にお願いする。条件は一切つけない。」というのはどうですか。女性が我が子を犠牲にする事件に触れる度にこの36枚撮り論が頭をよぎります)。

 E列とA列はうまくいかない、とは言うものの身近に感じられる事柄については双方とも「そうだ」と合意できるものと思っています。

 

☆兵庫県知事が、政策について最初に述べられたのは、公約でもあったからでしょうが、部署を設け財政等を見直す、謂わば時間のかかるものでした。

 その後コロナに触れられ「国とよく相談していく」とのことでした。

 この斎藤知事に対して、80代の女性が新聞の声欄に「若いのだし見守ろう」と投稿されていました。40歳を過ぎた斎藤知事はもう老人(この老人論に異論のある方、大宅歩さんの本を読んでみて下さい。彼は18歳の時が一番輝いています)だと思うけれど、この女性の主人が、当選後それなりの日数があったにもかかわらず、斎藤知事と同じことを言われたら、きっと「おとうさん、なに言ってんの。離れをどうするかなどどうでもええ。早う火消さな。母屋が燃え、死人も出ていると言うのに」と、怒られたと思う。

 これが、分かっているようないないような、身近であるようでないような、政治家と選挙民の関係を象徴的に物語っていると思っています(ついでに言えば「潰れかかっている親分になにを相談されるのだろう」と思いました。というのは、和歌山県知事の言動を見てきていたからです。5人や50人の長ではなく500万人の命を背負っている―最近知ったのですが県議会で『県庁にもっと近い所に住んではどうか』という問いかけに『私にも個人の生活がある』と答弁されたとか―。斎藤知事は私以上に仁坂知事のことを知る立場におられた。仁坂流に言えば「相談」ではなく、自分のやりたい事を実現するため「駒としての国をどう利用するか」のはず)。

 「国」とせず、身近なものに置き換えて考えれば、案外E、D、C、B、A間の溝はなくなるのかもしれません。

 身近に感じられることを常態として、E、D、C、B、A列が自然な形でピラミッド型になるのは企業ではないかと思います。コロコロ変化も起きにくく、これだと、上に立つ人は、先に触れたように、議員さん達と違って、その言動が必ず損得に直結する「何かを背負った人」になります。その分、責任が明確です。

 さらに、繰り返すようですが、企業連合国家は赤字と隣り合わせであり、その現実は決して幻想を許しません。

 勿論、カリスマ経営者(私の知る限りでは、例えばダイエーの中内さん)はいます。

 しかし、現実から遊離すると長続きするのは難しいようです。また、例えばトヨタが、プーチンさんのように武器で人を殺すというようなことはチョット考えにくい。誰もトヨタの車を買わなくなるからです。あるいはゼレンスキーさんのように他企業の進出にトヨタが武器で立ち向かうというのも考えにくい。あくまでビジネスで処理するはずだからです。

 

☆『けものたちは故郷をめざす』

 これは何十年も昔に読んだ安部公房の小説なので、そのあらすじも作者が何を言いたかったのかも思い出せません。しかし、『けものたちは故郷をめざす』という題名だけは、ふと、私の頭に浮かんできます。

 人々はチルチルミチルのように幸福の青い鳥を求めるほど尊大な生きものではなく、もっとけなげにさまよい続けながら一生懸命生きているように思います。

 犯罪といわれるものも、そのほとんどが、自分の棲むべき故郷をめざし、あるいは「今棲んでいるところは自分の故郷ではない」と、そこから抜け出そうともがく過程の軋轢が犯罪という形で現れたのかもしれません。

 そして、多分、ほとんどの人々が「わが故郷」に、ついにたどり着くことなく、死んでいく・・・。

 しかし、願わくば、誰しもが「わが故郷」にたどり着き、あの世へ旅立ちたいにちがいありません。

 人々は時々「俺は今、何故、ここにこうしているのだろう」と自問することがあると思います。そして「結局自分自身がわるい。故郷への道中で、途中下車したり、逃げたり、手抜きをしたのがいけなかったんだ」と。

 具体的には、職業であり、職場であり,棲む街であったり、そして結婚だったり。

 「これが自分の故郷だ」と思ったら、手抜きをせず、ためらうことなく進む必要があると思います。

 しかし、うまくいかなかった時は、そこが「わが故郷」でないので、こだわらず明るく晴れやかにそこを離れる勇気をもつことが大切だと思います(※後述2)。

 36枚撮り論からすると、場合により、化学反応みたいなもので、理性の働く余地はありません。

 このことを、決して忘れないようにしたいと思います。犯罪や病気を避けるために。

 

※後述1

 「女性登用」。聞こえはいいけど、当然ながら女性(に限らずすべてのもの)の持つキャパシティは限定。無限ではない。女性が自己主張すれば、その原資を、自分の中をはじめどこかから持って来ることになる。今の世の中の雰囲気はこのことを忘れていると思います。それに、女性の地位云々の指標は勝ち組の話。江田憲司さんの基本原則からすると、勝ち組は政治の関与外(江田さんがそうおっしゃっているのではなく、私がそう解釈しているだけ。念のため)。

 そんなことより、報道で知る限り、どちらかというと、勝ち組でない場合が多いように思う(子供の虐待にもつながっている)事件等の対策として、是非実現して欲しいことがあります。

 「女性だけ、小学校1年から中学生3年、もしくは高校3年まで空手を必須とする」。これです。

 

※後述2

 生きることが最優先。精神的にもがき苦しむ必要なし。何故なら科学現象。磁場から、次の故郷を目指し、旅を楽しめばいい。

 このことを、年一回以上、9度ないしは12度、必ず学校で生徒に教えてほしい。

 

 

 

       2022年6月11日        井筒屋 弟二郎