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裏話その②でございます。これは私個人の反省です。
私個人が金剛禅を最も色濃く出来ていたのは、大学の部活幹部だった三段の頃か、もう少し脂が乗りつつ個人で自由に(道院にはもちろん所属してましたが)活動してた四段の頃かもしれません。
全体を見なければならない、というのも金剛禅の大きなテーマなので、今の状況をダメなものとは思ってないものの「何のしがらみも無ければこう動いていたのに!」と歯噛みする所もないではないです。
今回は八段の先生が時間を取って教えてくださってましたが、その時私は撮影にまわっていました。
私は金剛禅の、特に開祖御存命の時の古い空気感として非常に好きなものがあります。側近と呼ばれる人が阿吽の呼吸で、動く様子が非常に好きなんです。
今回の八段の先生の時にも、そのような動きを求められるのが少なくとも3回ありました。
一つ目は、学科上の固有名詞を先生がド忘れした際に耳打ちすること。先生に「あれ?えっと、、、」という姿を長くさせてはいけないですし、かと言って間髪入れなさすぎて話に割って入るようなのも好ましくありません。撮影中とはいえこれは対応できました。
二つ目は、攻者を求められた時です。これは慣れてる人であれば一瞬でその空気に気づく。今回もその空気がありました。本来であれば横で控えてる私が呼ばれる前にスッと立ち上がって寄っていくべきでした。私が撮影していて動かないのを見た先生が他の方を呼び出しました。
本来、呼び出しの手間なく、阿吽の呼吸でスッと動く姿を、組織として整った姿をみんなにも見せたかったのですが、これは非常に後悔があります。
0:25でこちらをチラと見て、0:28で指名するまでの間がありますよね。これです。本来的にはチラ見と同時に私が動いておくべきだったんです。自分への戒めとしてですがこの空気を読めないのは拳士としては落第点だと思ってます。
三つ目は、伏虎立の説明の際に膝をしんどそうにされてた瞬間、これもやはり少なくとも「私、行けます!」感を出して先生に判断を委ねられるだけの余地を取っておくべきだったのに出来ませんでした。
カメラを、目の前にいた拳士に任せて入ることも考えたんですが、その動きが理解できるかどうか自信なく、さりとて動画も貴重な資料になるのでしっかり残したくて、、、とジレンマの中で諦めました。
次回は撮影は他の人に任せた方がいいな、という思いと、この思いに同調した動きを出来る人を一人でも多く作っておきたいということ、そんなことを学びました。
こういう会は、八方目と勘を養う素晴らしい修行の場となります。
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