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先日少林寺拳法の研修会に参加してきました。その中で法話演習があり、10分程度の法話を用意しろということでお話ししてきた内容です。
会の趣旨もあり、後進育成や少林寺拳法の今後に強く意識を向けたものとなっています。そのため、現状への危機意識やそうなった理由などについてやや角度をつけすぎた物言いになってるところとありますが、そこは法話のライブ感の中でのものとご容赦ください。
少林寺拳法としてのベースライン
少林寺拳法は宗道臣(以下、開祖)によって作られました。その創立時の思いは、戦後荒廃した日本の惨めな姿を見た際の衝撃と、そこから立ち直るためのには「正義感と慈悲心をもち、行動力のある青少年を1人でも多く作る以外にはない」という決意でした。
そう思えば、どのような拳士を育てたいか、という答えはここに集約されます。ここをベースラインとして話をするのであって、ベースラインから外れることは許されません。
ですが、その前提の中で「どのように?」「どんな感じ」みたいなところは我々在野の道院長に委ねられているところかと思います。
「育てたい」という傲慢
道院長を対象とした研修会でしたので「 育てたい、教育したい」という観点になるのは当然なのかもしれませんが、少し傲慢さを感じるなと正直思いました。
育ててなんぼ、と言いますが一方通行で育てようとすることに違和感があります。というのも、私の謙虚さからくる話ではなく、むしろ逆で私の気質からくらものかもしれません。
私は自分の親に対しても「あいつらを教育してやらんといかん」と「親の教育」みたいな偉そうなことを子供の頃から思ってました。マジで傲慢ですよね。
親がこちらに対していまいちと思うのと同様に、こちらも相手にそう思う部分があるわけで、そのすり合わせをするのが対人関係であると思うわけです。
拳士同士であってもこれは当然で、門下生から影響を与えられることだって常にあるんです。
これは「教えることで教わることもあるよね」とは似て否なる観点です。
長くなるので切ります。
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