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 少林寺拳法には『流派』というものがありません。『〇〇先生系統の技』のような概念があり、内部では色々区別・区分のようなものがもしかしたらあるのかもしれませんが、それでも流派という明確な区別はありません。


「道院のやり方」や「道院の方針」みたいなものが似ている所もあれば違う所もあるかもしれませんが、その違いを実線で明確に切り分けるものではなく、あくまで点線・破線のようなもので区切ってるだけです。


自分の方針と極めて合わない道院があったとして(あまり見たことないですが)私の思うところを述べます。


ありがたい存在

自分と方針が全く違う道院はありがたい存在です。


自分から見て理解できなければできないほどありがたい。


その方針は私からは思いもつかなかった領域であり、私ではカバーできないニーズに応えることができるからです。


流派のある団体であれば、もしかしたら別流派として袂を分つのかもしれませんが、そこは少林寺拳法。流派はございません。


少林寺拳法の裾野が広がるだけなんです。


私個人としては絵本プロジェクトはさらさらやる気はなかったですが、組織としては応援してました。


うちは一般部メインでしたので、そもそもに合う合わないがある。子どもが多い所であれば、そういう方法も良いのかもしれません。


全道院必ず絵本プロジェクトをやるべきだ!となるとげんなりしますし、そういう強権発動は少林寺拳法の本質に関わることのみに限定すべきだと思います。やりたいところがやる分にはOKだし、うちの道院に出せないバリューを持った道院があることは道院間の相互サポートとして素晴らしいことです。

 

 

良いものは選ばれる

 組織としていろんなものに挑戦をすると、迷走するのでは?という話もあろうかと思います。


ですが、拳法自体を「エサ」と言って憚らないこの組織です。何をエサにしても良いはずです。集まった人に「自己確立」「自他共楽」の観念を持ってもらい、自分のためにも他人のためにも頑張れる人が増えれば良いんです。


人を惹きつける魅力が高いものは素晴らしいものです。


そして、人が集まらなければ自然と淘汰されていきます。


自分の主義と合わない道院があった場合、もし「何あれ。許せん」という気持ちを抑えられなかったとしても、その気持ちの出し方は「あんな(自分から見たら)くだらないことをして!」と攻める姿勢ではなく、「あんな方法よりこちらの方が魅力がある(価値がある・人を集められる)」という姿勢で臨むべきかと思います。


そうすると、切磋琢磨という形になり、全体の魅力向上につながります。ええことや。


そして、気に入らない道院に人が集まり存続してる以上、自分の思いはともかく、そこの方針は一定の正しさが担保されたと言えます。この客観性を失ったら危険かと思います。


もちろん、集まった人たちがきちんと成長することも重要ですが。



マイルドに道院の話としましたが、この話は別に道院に限ったものではないですよね。


人間関係でもそうですし、SNSの意見の相違についても同じことが言えると思います。


自分とは違う人がいて、その人がいるから価値感の多様性が広がるんだな、と思いたいところです。




 

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