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うちの道院では、最近は学科(少林寺拳法の教え)を学ぶ際に『輪読』を行うようにしています。
輪読ですので、順番に音読をするわけですが、久しぶりに音読をしてみるとなかなかいいものだなと思うわけです。
自宅で自分の勉強をする際は黙読か、もしくはぶつぶつしゃべったりしゃべらなかったりの「半音読」みたいなことが多かったんですが、みんなに聞こえる大きさで話す音読の良さをいくつか書いていきます。
理解が深まる
黙読をして目から情報を入れるだけに比べて、音読は口を動かす刺激と、耳から入る刺激と、刺激が多層化されます。
この多層化された刺激によって、目からだけの情報に比べて記憶に残るきっかけがうまれやすくなるものと思います。
まわりの理解度もわかる
教えの中には、専門用語がたくさんあります。
その専門用語を口にするときに、ちょっと詰まったりすると「あ、この言葉がまだなじんでないんだな」とわかります。
理解度と流暢さは比例しているように感じます。
詰まった部分などの補足をしてあげることで、効率よく学ぶことができると考えています。
一般常識的なところの補足
皆で読んでいると、意外と漢字が読めないことがあります。
専門用語は最初はもちろんわからないとして、一般的な漢字でも詰まることが意外とありますので、そういう点を補足することができます。
漢字の読みは意識的に直さないと実はずっとわからないまま放置されてしまうものかと思いますので、学科の内容とは関係ないものであっても、良い機会だなと捉えています。
少林寺拳法の修行の中で、実社会に役立つ部分があるのは喜ばしいことです。
単純に音読がいい
小中学校であれば国語の授業で音読をすることもあると思いますが、大人になると音読をする機会はぐっと減ります。
お話しするお仕事でもない限りは全くない場合もあるんじゃないでしょうか。
活字を読んで声に出す。この所作が私は好きです。
また、一般部(大人)でも、音読がすらすらできる人と苦手そうだなという人がいます。すらすら読める人は言語コミュニケーションも得意な人が多い。
音読も会話も、口から言葉を滑らかに出すという意味では同じですので、まずは音読で基礎を固めるのは良いことと思います。
体調管理として
髄膜炎を患ってからか、ただでさえ悪かった活舌が、日によって大きく悪化することを感じます。
ろれつが回らない時ほど、少し体調が悪いのかな?と自分を労わるようにしています。
肉体的にも精神的にも、意外と『ろれつ』にはいろんなものが現れるのだなぁと痛感します。
日々の健康チェックとして、音読をすることもお勧めしたいと思います。
一体感の醸成
道院の仲間で、同じ資料を輪読していると、一人で黙々と勉強していた時には感じられなかった一体感を感じられます。
もちろん決まった資料を読んでいるので、補足や肉付けは別途行う必要があり二度手間感はありますが、それを差し引いても良いものだなと思います。
少年部が人数確保でき、少年部だけで学科をする際には、高学年のお兄ちゃんお姉ちゃんの仕切りで、みんなで輪読できるといいな、なんて思っています。
皆さん、音読をしましょう!
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