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 少しまじめなお話になります。


少林寺拳法は戦後間もない1947年に開祖宗道臣(以下、開祖)によって作られました。


開祖は敗戦で荒廃した国と人を憂い、「人づくりによる国づくり」「リーダーとなる青少年の育成」を目的として少林寺拳法を開基しました。


現状、宗教法人や一般財団法人などがあり、武道なのか宗教なのかとやいのやいの言われますが、その本質は「上に立つ人間の育成」という教育を主旨としたものと私は思っています(形式的には金剛禅総本山少林寺は宗教団体、少林寺拳法連盟は一般財団法人です)


宗財ひっくるめて、いろいろな活動をしています。武道としての側面もあれば、コース制という高齢者のフレイル予防のようなこと、絵本による幼児の情操教育、介護スキルの提供、そして今は『インクルージョン』という枠組みの中で、『ラベリング不要の受容』に向けての機運も感じられます。


私個人の本音を言えば「そこまで手を広げるだけの組織体力があるのか」「手を広げたその領域は『リーダー育成』という組織理念というべきものに叶うのだろうか?」という思いがありました。


今でもその気持ちはないではないです。


ですが、少しだけ見方が変わっても来ています。本日はそのあたりを。


リーダー不要?変わる価値観。

そもそも「リーダー」とはなんでしょう?


まわりの人を巻き込んで先導する人、「リードする人」がリーダーなのかと思います。


「ボスとリーダーの違い」と良く言われますが、指示出しだけしてふんぞり返ってる人はリーダーではありません。


では力強くみんなと同じタスクを引っ張っていくのがリーダーなのでしょうか?


昭和生まれの私としてはこのイメージはしっくり来ますが、今は令和。変化してる可能性がある。


そもそも「みんなを先導」するためには「みんな」が必要であって、令和の「みんな」はそんなに引っ張って欲しいのだろうか。


「俺についてこい」のスタイルが実はすでに違っているのかもしれない。


YouTuberのリーダー性

YouTuberという職業が耳に馴染んで久しいですが、彼らは絶大な影響力を有しています。


広告もオールドメディアからネット広告へと軸足を移していることもこの影響力の証左でしょう。


YouTuberの発信により、多くの人が行動に影響を受ける。これはもはやリーダーと言わざるを得ないものであると思います。


ではYouTuberの人はみんな須く何かの達人だったり、リスナーと共同のタスクを卓越したスキルないし情熱をもって先導してるのでしょうか?


そんなことはないですよね。


単にリスナーはYouTuberが好きなんだと思います。その人のキャラクターや生き様が好き、もしくはもっとライトに「なんか好き」、いろんなレベル感の「好き」があるとは思います。


私も少林寺拳法の道院長として、手の届く範囲で門下生に技な教え、仕事や人生について心血を注いで伝えているつもりではありますが、YouTuberの発信力には足元にも及びません。



インクルージョンのリーダー

例えば、障害を持っている拳士が日々まじめに、楽しく少林寺拳法を修行している姿をYouTubeで発信したら、その効果はどれだけ大きいだろうと思います。


さらにその拳士が、入門時から目に見えて明るくなり、人生を肯定的に捉えていくように変遷していく姿が発信されたら、その姿に胸を打たれ勇気づけられる人はどれだけ多いでしょう。


同じ障害を持たれてる方やその保護者はもちろん、そうでない人でも何か感じるところがあるのかと思います。


何かを先導しようとする意図はなくとも、人生を楽しんで輝いてる姿が人を引っ張る魅力となるのかと思います。


インクルージョンはリーダー育成に繋がらないよ、という気持ちを当初持っていましたが、今ではあながちそうでもないのかなと思います。


そしてこれは「障害がある方がそれを乗り越えているからできること」ではなく、「すべての人が『人生を楽しんでいる姿』を見せることで、人を惹きつけるリーダーとなれる」ことを示唆しているのかと思います。


みなさんも、少林寺拳法を通して人生を謳歌してみませんか?

 


 

 

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