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 本日は親子で一緒に少林寺拳法を学ぶことの良さをお伝えします!


私も絶賛3歳児育児中のイクメンです。こどもの成長って非常に速くてびっくりしますよね。何でも吸収してしまうこの時期に、親としてどう接するべきか、何を学んでもらうか、色々悩んでしまうと思います。


また、育児中の本音としては「育児疲れで自分のための時間が欲しい」という気持ちと、さりとてこの大切な期間に「こどもとの時間をもっと取りたい」という二つの矛盾した気持ちも生じると思います。


大丈夫!全部少林寺拳法で解決です!

 


こどもへの願い

「どういう風に育って欲しいか」というのは親のエゴである反面、親の愛です。


我を押し付けすぎるのは良くありませんが、ネグレクト(育児放棄)という言葉があるようにこどもへの無関心は通常あってはならないことです。関心があれば想いが生まれるのは必然です。


「どういう子に育ってほしいか」というアンケートは、世に出回っておりまして、そのうちの一つはこの通りでした。本山が外部アンケートを調べてくれたものです。



 私は息子に「パパは◯◯に『強くて思いやりのある子』になって欲しいと思ってるよ」と言ってますが、そのままですね。どの順位も、「強さ」と「優しさ」の別表現なのかと思います。


少林寺拳法では「力愛不二」という言葉があり、これは求める人間像なのですが「力のない正義(愛)は無力であり、愛のない正義は暴力である」ということを教えてるものです。端的に「少林寺拳法の修行において『求める人間像』」と言えます。


お子さんに求めるものと何も変わらないのです。


武道格闘技の中には、「強さ」に過度に重きを置いたものも少なからずあります。当然、自分のこどもはいじめられるような子になって欲しくはないので強くなって欲しいのですが、かと言っていじめられる子になって欲しくもない。


強さと優しさ、そして『調和』を学んで欲しいと思うのは当然ですし、少林寺拳法はまさにそれを伝えたい!と思っています。


宣伝ばかりではアレなので本音も言いますが、少林寺拳法は比較的新しい武道(80周年がもうすぐ)で、創始者が亡くなってから勢いは弱まっています。


ですが、戦後の混乱期の「強さが全て!」と言った風潮の時代から「力だけでは暴力だ!」と、思いやりや慈悲心の大切さを説いてきた武道です。




​同年代との会話

「同年代」というのは「こどもはこどもと」だけではなく「親は親と」も含まれます。


少林寺拳法では親子での受け入れが多く、また、親子で一緒に練習できることが多いです。


育児疲れの中「こどもは習い事に預けて自分の時間が欲しい」という思いは当然のことです。


それでも毎週こどもが自分の目の前から居なくなるのは寂しい気持ちもよくわかりますし、親の子離れという観点からも「こどもの世界」を尊重したい。当然ですよね!どちらも本音なのです。


少年部のある道院であれば、まずこども同士の世界で、学校の友達以外の友達を作れます。その上で、親であるあなたは一般部で大人の人間関係ができます。


こどもだけを預けた場合、確かにその時間を何にでも使えます。この『自由度の高さ』には正直敵いません。ですが、自由な時間の中で「こどもが今どうしてるかな、うまくやれてるかな」と心配になるのが親心です。そういう気持ちになった時にはその場で見れる!こども表情が!その上で自分も大人と会話して練習できる!「自分の向上」と「こどもの(最低限の)見守り」が両立できるのです!


テーマとは少し逸脱しましたが、同世代(大人)との交流で息抜きをしながらも、同時にこどもの「同世代の交流」を促進しつつ、いつでも見守れるというのは、育児中の親として代えがたい価値だと思います。



反抗期の乗り換え

こどもが小さい時には、親は当然叱ります。力も強い。ある種『絶対的な存在』となります。なってしまいます。


こどもが本当に小さい時には当然であり、その絶対さで導いてあげるのが親の勤めなのかと思います。


親世代である我々は、さらにその上の世代の祖父母を見てるので「あんなに大きかった親の背中がこんなに小さく、、、」という感覚を知っています。


それがいつ始まったのかと思うと、散々反抗してたあの中高大の時期に実は逆転してたのかも、と思うわけです。その逆転に気付かないまま乗り越えてしまった。親に意図せぬ無理を言ってしまった。そんなことをやや悔いつつ、親を労わるフェーズに移ることも多いのではないでしょうか。ちょっと強がりな親をお持ちの方ほど、この傾向は強いのかと思います。


少林寺拳法では、敵意のない突き蹴りや手を掴み合っての技の攻防があります。


その中で、赤の他人であってもわかるのです。力量の差が。親子でわからないはずはありません。


口での会話が難しい時期でも、手取り足取りの中で、自然体で「お前も強くなったな」と「あんなに強かった親父が、、、」が無理なく交差できる。


これは、私の文章力では伝えきれませんが非常に素晴らしいことと思ってます。


私の聞く限り、いつまでも力の逆転が訪れない強すぎる人(道院長とか)を除いて、多くの親子拳士は反抗期をとてもバランス良く乗り越えています。


特に親子の性別が逆の場合その効果は謙虚なようです。


『親子演武』の存在

先ほどの内容は、もしかしたら他の武道や習い事でも同じことが言えるのかもしれません。


他のブログでも書きましたが、親子で習う習い事は多いのです。とはいえ、多くは「大人の部」と「こどもの部」が分けられる。少林寺拳法でも「一般部」と「少年部」で時間を分けてる所は多いです。そうなると、同じものを一緒に学んでも、その学び場の中で見えない壁で区切られてしまうのです。


でも、大会の種目で親子で組んで出れる場があるのです。それはつまり「親子2人の時間」が取れるし、その中で力の逆転を体感できるのです。


親としてはこどもの成長という安心・喜びと、自らの衰えの実感を、こどもとしてはあんなに絶対的だった親の衰え・強がりと自分の成長を、タイムラグなく伝えられるのです。


親子のこの時期の関わりの薄さが「タイムラグ」として、「親よりも強い子が、子よりも弱い親に無理を言い、いつか大きく逆転した際に子どもが「こんなに背中が小さくなったのか」と後悔する」ことを惹起します。


リアルタイムで力の逆転を伝えることは、反抗期のセンシティブなお子さんに、『自信と配慮』を教えられる最高の教育機会だと思うのです。


『自信と配慮』は言い換えると『強さと思いやり』です。そう!多くの親が「こんな子に育ってほしいれと思う願いそのものです!


完全な独りよがり(1人育児)や、完全な他人任せ(預けっぱなし)にせず、他人の協力を得つつ自分の時間も作りつつ、その上で最後の最後その肝をあなた自身が負う形で子育てを完了できるのです!!



最後に

私はこういう考えを持っていますので、子育てのその気持ちにとことん寄り添うつもりです。


「少林寺拳法」は武道、道院は宗教団体ですが、その本質は「教育団体」だと思っています。


教えつつ教えられて、その輪が回って幸せが巡ることを私は心から願っています。




 

 

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