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 髄膜炎シリーズもここらで終結となりますが、その他雑感です。

 

 

 

入院後半の様子

 

 最初数日はしんどく、それ以降は念の為の入院だったと書きました。では後半の生活はどうなのでしょう。

 

一言で言いますと『社会公認中年引きこもりニート』と言わんばかりの生活でした。

 

カーテンで仕切られた自分のテリトリーで、ずっとYouTubeを見る生活。少林寺拳法の勉強もしましたが、移動距離がベッドとトイレの間のみ。少しでも無理をしようとするとまわりから止められるという公認っぷり。

 

もっとも、客観的にみたらここで無理するなんてあり得ませんし休むべき時期ではあるんですが、主観的には申し訳なさがありました。

 

大部屋の他の方は高齢者が多く、いろいろお身体が大変そうでした。

 

その時私が意識していたことはただ一つ。「看護師さんたちに、無駄な労力はかけさせない」です。不要なことではもちろん呼ばず、とはいえ『何でも自分で!』を張り切りすぎると逆に迷惑をかけるところもあろうかと思うので、通常のお世話?とかは素直に甘える。そんな感じで過ごしてました。結果として、より引きこもり具合が高まりました笑

 

 

 

ダウン時の記憶

 

 退院直前の知能テストの際に、自分の生年月日も思い出せなかった時の話をしました。

 

例の「黒塗りになってて読み上げるものが見えなかった」というものですが、それを聞いた先生は非常に興味深そうでした。

 

その事情が興味深いということ以上に、基本的には倒れた時の記憶は無くなってる場合が多いようです。脳機能障害で緊急搬送された人がその前後を覚えてるのは珍しい、と言ってました。

 

酒の時の記憶は良く飛ぶんですけどね。なんなんでしょう。不思議です。

 

 

お酒に関して

 

 入院後半は暇でしたので、お酒を飲みたいと言う気持ちももちろんありましたが、特段の支障もなく持ち堪えました。飲もうとしても売ってませんし、とはいえ病院内のコンビニには「ザ・おつまみ!」みたいなのがたくさんあるんですね。

 

なぜこれがこんなところに。。。

 

とずっと思いながらおつまみだけ食べて生活してました(特に怒られもしませんでした)。

 

 

病院の環境を見て

 

私の髄膜炎もあらゆる病気の中では決して軽くはないと思うのですが、病室のすぐそばに集中治療室があったこともあってか、よなよなうめき声が聞こえたり、たくさんの管に繋がれたご老人が「私なんてもう死んだ方がいいんだ」と言ってるのを「そんなこと言わないで」と宥めている看護師さんを目の当たりにしたりと、日常では接することのできない状況に接することができました。

 

命に対してその尊さを考えることもあれば、不謹慎ながらご老人に若者の医師・看護師が何人も支える様に日本経済へのイメージを重ね合わせたりと、大きく言えば非常に勉強になりました。

 

また入院したいかと言われればもちろんNoですが、自分の人生において大きな糧になったとも思えます。

 

こんなお気楽な感想を持てるのも、緊急搬送から退院まで支えてくれた家族のおかげかと思います。

 

また、長い間道院も留守にしてしまいました。その間を支えてくれた門下生にも感謝しかありません。

 

振り返ってみると色んなことがあって色んな感情が湧き上がります🙏

 

以上で、髄膜炎の振り返りを終わりにします。書き残したことがあればいずれ書くかもしれません。

 

 

 

 

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