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少林寺拳法の鎮魂行で唱和する誓願の一説に「自己の名利の為になすことなし」という一節があります。

 

読んで字の通りで、自分の名誉や利益の為に修行するんじゃないよという意味合いと理解しています。

とはいえ少し厳しいですよね。自分の努力が自分の為になって欲しいと思うのはどこまでも自然なことですし、「自他共楽」の説明でいわれるようにまずは自分です。自分が幸せを願わない人はいないですし、自分が幸せでないのに他人の幸せを願えるというのは、聖人というか不自然であるとさえ私は思います。

 

ではこの「自己の名利の為になすことなし」という一節との関係はどうなんでしょうか。

 

 

自己の名利

確かに読むと自己の『名誉』と『利益』と書かれていますので、自分の為に頑張るなよという意味に読めます。

 

これは私の理解ですが、ここには枕詞がついて「『他人を犠牲にして得られるような』自己の名利のために為すことを禁ず」と解釈しています。

 

つまり、自分の努力は他者を害せずに自分の為になり(自己の名利の為になすことなし)、そのような努力の末豊かになった自分が、その豊かさを他者に少しでもお裾分けしてあげる(自他共楽)ということで社会が平和で豊かになるのではないかと考えています。

 

ですので、他人を蹴落とすとか、そういうことがなければどんどん(まずは)自分の為に頑張っていいんだと思います!!じゃんじゃんやっちまいましょう!

 

 

 

みんなが利己的になったら?

たまに思うんですが、みんなが自己確立・自他共楽の生き方を志せば、基本的に争いなんてなくなると思うんです。どこかに利己的なものがあり、その利己と利己がぶつかるから争いは生じる。

 

とはいえ、資源は有限ですし、主張の食い違いもあるので、そこのぶつかりに対してどういう落としどころを見出すのかが腕の見せ所なのかなとは思います。

 

 

話が逸れましたが、本当にみんながみんな利己的に生きたらどうなるんでしょうか。他者がみんな悪意を持ってこちらの財貨を奪ってくる。当然ぎすぎすはするんでしょうけども、意外とそれはそれで何とかなってしまうのが世の中なのかなって思います。奪われる前提で奪われないようにし、隙あらば人の物を奪うことでバランスを保つ、そんな世紀末な世の中。

 

日本もどんどん崩れてきていますし、「日本も崩れる」という言葉の裏には「意外と日本以外ではそういう風潮のある国もあるのかもしれない」というなんとなくのイメージの裏返しなのかもしれません。

 

どんな世の中になっても意外と人間(生物)はしぶといので、意外と何とかやっていけると思います。

 

ただ、そんな世の中は私は嫌ですし、子や孫が生きる世界はできる限り笑顔のある世界であってほしいな、と思うので少林寺拳法で道院を出し、恥ずかしながらもこういう発信をしているのかな、などと思います。

 

皆さんも、なって欲しい世の中に向けて、小さな一歩を踏み出していきまっしょい。

 

 

 

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