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本日はモデルと現実についてつらつら書いていきます。

 

「言葉は真たり得ない」「技法は絵にも文にもできない」など、そういうことに通ずるものとして私が大切にしていることです。

 

 

モデルとは

今回の話は自然科学をイメージしていただくとわかりやすいかもしれません。

 

例えば「物を投げると(その名の通り)放物線の軌道を描く」といえば通常正しいことと認識されています。

この認識を「それは間違いだ!」と声を荒げる気もないですが、少々このことについて掘り下げていきたいと思います。

 

放物線という名前を名付けられる太古の昔から、なんであれば人類が誕生する前から、何かのはずみで放り出された物体は同一環境の下で同一の挙動を示していたはずです。

 

その挙動を解き明かしたいという人類の努力が、重力方向への加速度からニュートン力学を用いて放物線という曲線を用いてその挙動を説明しました。そしてそれは数学的には二次曲線になっているということが現在では明らかになっているといってさしつかえないのかと思っています。

 

「現実の挙動(物体の動き)」に対して「その挙動を説明するモデル(放物線・二次曲線)」が与えられたわけです。

 

これは人類の叡智の結晶といえるかと思います。科学ビバ。

 

このモデルによって、再現性や予測可能性が高まり、「この速度(速さ+角度)放り投げると、どこに着地する」などがあらかじめわかるようになるわけですね。

 

しかし、そうしたのちに誤解というかなんというか、拡大解釈や(意図せぬ)すり替えが起きるリスクがある。

 

 

現実に置き換わるモデル

「物を放り投げた挙動は、放物線の関数で求められる」というモデル化が「現実の挙動」を置き去りにしだすことがあります。風速は?空気抵抗は?電車が加速していく中で放り投げても同じ放物線になる?重力加速度が一定と思える環境か?など、まぁ今は例なのでちょっとむちゃなこじつけも入れていますが、条件が変わると「本当に放物線で動くのか?」という

 

実態は、条件により違う挙動を示し始めていても、人の意識は「放物線」から離れられない場合がある。

 

 

もう少し簡単な話にすると「円に内接する正三角形」を考えた際に、この正三角形を円とは思わないです。曲線と直線は違うよ(笑)と思いますよね。

 

これが正方形になっても正五角形になっても円とは思わないはずです。誤差が激しいですから。

 

ただ、これが三十角形とかまで行くと下の図のようになります。これだとどうでしょうか。三十でこれです。


図:円に内接する正三十角形

 

正百角形までいくと、多くの人が「もはや円」と思うかもしれません。直線と曲線は違うのにも関わらず。

雑なモデルなら惑わされませんが、モデルの精度が高まるにつれ、モデル(正多角形)を現実(円)と誤解し始める。

 

文明が未発達な時代には、多くのモデルの精度が荒く、それによって「現実をわかった気になる」可能性は低かったのかもしれません。これが高度に発達すればするほど、科学的に解き明かされた=現実をわかった、と誤解するのかと思います。「モデルの適合度が一定程度妥当」と認められただけにもかかわらず。

 

医学などはこの傾向が強いのではないかと思います。人体のどれほどが本当にわかっているのか、専門ではないのでわかりませんが、わからんでしょうにと思いますし、作用があるなら副作用もある中で採用されたものがいつの間にか「正しい治療法」と権威づけられて止まらなくなる。

 

別に医学批判をしたいわけではないので話題を変えますが、本来的には「わからないという余地を持つべきもの」という事例として私の考えを挙げさせていただきました(西洋医学は非常に重要だと思っていますし、よく頼っています)。むしろ、武道としての技法として対人体が多いので、そちらを主眼としての人体の話だと思っていただければ幸いです。

 

 

「わからない」という心の余地とロマン

現代科学を否定するわけではないですが、すべて解明されているかのようなふるまいには個人的に少し抵抗があります。

 

特に人体まわりの技とかのかかり方などで「こうすれば必ずかかる」とか「これが正しいかけ方だ」みたいな話には抵抗が強くあります。

 

とある武道として、技法体系をまとめていく中での「正しい手順」はあるのだと思います。まさにモデルですし、そのモデルを共有することで同一の武道を学ぶものが共通言語で確かめ合える。

 

ただそれは、モデル化されればされるほど現実である「人体への効果」から乖離する可能性を秘めていると思うんです。物体を投げるのは「地球上で」で済んだものが、技に関しては「Aさんへの掛かり方」と「Bさんへの掛かり方」とで全く違うことがありますから。

 

「あの偉大な先生からこう習いました」という風にモデルに「権威」が加わったとき、このリスクは加速すると思います。

 

武道におけるモデルの意味や限界を、少なくとも私は意識しながら修行し、門下生と共有していきたいなぁと思っています。

 

 

 

 

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