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最近門下生の中学生が少林寺拳法だけでなく勉強も頑張ってくれてウハウハな毎日を送っています。

 

武道団体である以前に宗教団体で、宗教団体である以前に教育団体だと思っていますので、深く関わった方の人生にトータルで関われる、特に自分な得意の分野で導く役割を任せてもらえることはこの上ない喜びです。

 

どんなに能力を持っていても「お前からは教わりたくない」というのが一番の失敗だと個人的には思っていますので。

 

さて、前置きはこんなところにして、最近練習前に門下生に数学を教えています。

 

 

多くの人がつまづくポイント

数学は「得意だよ」っていう人と「苦手だよ」っていう人がもっともきれいに分かれる科目なのではないでしょうか。

 

特に早々に付いてこれなくなってしまった人の嫌悪感はいかばかりかと思います。

いろんなつまづきポイントがありますが、そのうちの一つが「場合分け」かと思っています。

 

ですので、普段はドリルを順に進めていくスタイルでしたが、場合分けについては個別にイメージだけを最初に伝えておきたいなと思い、抜き出して教えたっていうわけです。

 

 

 

ボールをどこでキャッチしますか?(具体例から)

さて、私の圧倒的画力をお披露目しましょう!

 

AとBの上の線は「坂」です!AとBはもちろん穴ですね!①~③は「ボールを落とす場所」です!

 

『①からボールを落とすとき、どこでボールをキャッチしますか?』と問えば、『A』と答えるのは造作もないと思います。

 

①が②に変わったところで、普通は「A」と答えてくれるはずです。

そして、③からボールを落とす時には、みんなの答えが変わって『B』と答えるはずです。

 

ここまではいい。当然です。

 

問題は、中学以降になると、①~③という指定がなく「高いところからボールを落としたらどこでキャッチをしますか?」という聞き方に変わってくるということです。

 

その時には多くの人が「わからない」と答えると思います。これも正解なのです。

 

正解とはどういうことでしょうか?

 

 

「わからない」という言葉の『質』

①・②と③とでは落ちる場所が変わります。それをどこから落とすのか指定せぬままに「どこに落ちるのか?」と問うても、「(AかBか)わからない」というのは当然な話です。”答えを一つに絞り込めないから”わからない。そういう意味で正しい答えといえるかと思います。

 

もっともそこまで考えずに「えー、わかんなーい」となるとちょっと心配です。答えへつながる手がかりが見えていない。私はこういう時の「わからない」の言い方はものすごく注意して観るようにしています。

 

「え、でも、だって、どっちに落とすかで答え変わるし、、、」という感じの「わからない」なら、あとは答え方を教えればいいだけの話ですので安心です^^

 

 

今回は場合分けの「考え方」を伝えるだけの予定だったので、もちろん厳密な話ではなく「ここからこっちでボールを落とせばA、ここからこっちでボールを落とせばB」という風に、自分でほかの条件を付けて、その条件ごとに答えればいいんだよと伝えたところ理解・納得してもらえたようでした。

 

 

 

条件がすべて揃うとは限らない

場合分けの本質は、「解のしぼり込み」なのかと思います。

 

解が一つに定まる、つまりしぼり込めるだけの条件がすべて与えられている状況下での答え方と、1つにしぼり込むために重要な条件が抜け落ちている場合の答え方は変わるわけです。

 

その出発点は「この条件が違えば答えが変わっちゃうから答えられないじゃん!」という思いです。

 

「お前、告白されたら付き合う?」と聞かれた場合に「そんなん相手によるわ(笑)」というようなものです。相手が決まれば答えは決まるけど、その条件がないと答えられない。

 

要はこれだけの話なのですが、数学の困ったところで最初に出てくるときにとにもかくにも無機質でとっつきにくい印象で登場しおる。数学系の人間にもこの要素が伝播しているのかと疑ってしまうばかりです(笑)

 

これからの数学ではそういう答え方を求められる場合がある、ということを事前に知っているだけで、最初出てきた時の印象は違うと思い、何とか事前に伝えられてよかったなと思う次第です。

 

 

 

答えは一つとは限らないし、複雑に見えるものでも条件次第で単純になる

私は受験時代に塾の先生から「数学を通して生きる力をみんなに与えたい」と言われて育ってきました。やばい先生ですよね。すごい先生でした。

 

場合分けを点数を取るためだけの道具としてみたら「ややこしい」という印象かもしれませんが、見方によってはどうでしょう?さっきの告白の話みたいに日常にあふれた話とも言えますし、答えは一つでなくてもいい、という寛容性のあるものともとらえられますし、一見複雑なものでも条件を置けば各条件の中では実は単純なのかもしれない、という楽観的にとらえられる話かもしれません。

 

解のない人生に、自ら条件を与えてその局所的な解を求めてく、という生きる力につながる話かもしれません。

 

数学や少林寺拳法に対してどう取り組むのかも、単なる受験科目、単なる技術と捉えるのか、それとも別の条件(意味)付けをしていくのか、それはあなた次第かもしれません。

 

 

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