松戸上本郷道院のブログへようこそ!
最近いい調子で投稿をしています。
今回は「サードプレイス」の大切さについてお話ししたいと思っています。
サードプレイスとは
1989年にオルデンバーグというアメリカの社会学者が「The Gseat Good Place」という著書で提唱した概念で、以下の特徴を有するものを指すようです。(wikiから引用)
- 中立領域(経済的・政治的・宗教的に縛られない)
- 平等主義(社会的地位からの脱却)
- 会話が主
- アクセスのしやすさ
- 常連による空間やトーンがある
- 控えめな態度・姿勢(家庭的)
- 機嫌が良くなる(緊張や憎悪がない)
- 第二の家
サードプレイスの有用性
少林寺拳法の道院は宗教法人ですので、もしかしたらサードプレイスの特徴である「中立」に反するのかもしれません。
それはそれとして、サードプレイスは非常な有用かと思ってます。
義務でない場所
ファーストプレイスたる家庭や、セカンドプレイスたる職場は、言ってしまえば義務的に所属の要があります。
家庭を義務だなんて!と思われる人もいるかもしれませんが「じゃあやめた」と軽々しく言えない時点で、表現の差こそあれ義務的な場であろうとは思います。
いつでも離れられる、という環境だからこそ不要な責務がなく居心地の良さもあるのではないでしょうか。
また、だからこそ「その場にとどまり続ける」ことにご自身の判断や意思が伴い、大袈裟に言えば人生を彩るのかと思います。
社会からの適度な隔絶
義務と類似した話かもしれませんが、人間が社会的動物である以上社会から逃れることはできません。
社内であれば役職としての顔が、家庭であれば父としての顔がついて回るし、この顔は実は外の世界にも影響を与えます。
レッテルというと聞こえが悪いですが、「ああ言う会社で働いてる」「まだ結婚してない」などの話が良くも悪くもついてまわります。「良くも」と言いましたが、なまじプラスのイメージ(良い会社で働いてる、など)だとしたら、それを失う恐怖もあったりするのではないでしょうか。
サード・フォース・フィフス、、、
サードプレイスの良さがあるなら、フォース・フィフス、と自身の居場所を増やすのも一つなのではないか。
それも良いと思います。居場所が多ければ多いほど「どこかにいられなくなってもまた他の場所がある」と思えます。このこと自身はとてもメンタルヘルス的に素晴らしい。
二つ注意点があるとすれば、一つは「薄まる」ということ、もう一つは「軸の喪失」という点かと思います。
薄まる
人間の時間は有限です。その限られた時間をどこでどのように過ごすのか、その選択が人生と言えるのかもしれません。居場所が仮に10ヶ所あるとしたら、週に一回もいけなくなるし、大袈裟ですが500カ所あったとしたら年に一回もいけません。
「常連」という特徴が(wikiによると)あるようですが、流石に常連にはなれないのではないでしょうか。
ある程度腰を据えたいですよね。
軸の喪失
これは私個人の思いが強いですが、サードプレイスにこそ自分の人生の総決算が詰まると考えています。
家庭を大切に、仕事を大切に、これは非常に大切なことであり、義務です。言ってしまえば「当然のこと」です。
定年まで仕事をがむしゃらに過ごして、定年後無気力になる人もいる。仕事は尊いですが人生の軸にするにはあまりにも無機的だと思います。
義務でないからこそ、自分が「そこにいる」という選択をしたことに価値があり、それが自分の人生になります。
「様々な場所に属する」とは言い方を変えると「どこにも属していない」に等しかろうと考えます。
軸を見失わない節度が必要と思います。
私が少林寺拳法で求めるもの
私は自己のサードプレイスを少林寺拳法(と飲み屋さん)に定めています。
サードプレイスとして選ぶ際に気にしてたポイントは、色々ありますが
- 社会通念的に変なものでもないこと
- いろんな世代と関われること
- 深めることができる類のもの
- 一生関わることができること
- 金銭的負担が現実的
松戸上本郷道院のオススメ
自分で言うのもあれですが、私は自分の道院が大好きです。
色々あって辞めていく人もいますが、それでもなお、うちの道院の1番の良さは「人」だと思ってます。
悪意を持って人に接する人が本当にいない。心休まる場所だと思ってます。
世間で辛い状況に遭い、道院に来れなくても継続してくれてる人がいるのも、そういうところかと自負しています。
辛い時に寄り添い、元気な時に高め合える。そんな松戸上本郷道院に興味のある方はぜひご連絡ください。

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