松戸上本郷道院のブログへようこそ!
久々の更新となります。
また、少し教えなどの話とは別軸で、私個人の雑感を記載します。
「無宗教」が多い日本人
今更書くほどのことでもないですが、日本人は各人の信仰するものを問われた際に「無宗教」と回答することが多い国民です。
実家が檀家として入っている寺院の宗派とかはそれぞれあるのでしょうけど、それを元にご自身の信仰・宗教とは切り離している。
所属と思想の乖離と言いますか、区分けと言いますか、それ自体は私は素晴らしいことと思います。
私は「思考は常に自由で在り続けること」を非常に重要視しているので、所属してるからと言って、気持ちまで支配されてはたまりません。
では、思考として「無宗教」としていますが、日本人の言う無宗教とはどう言うことなのか。
日本人の無宗教
日本人は無宗教なのに「バチがあたる」「お天道様が見てる」などという観念を持っている、ある種とても面白い国民性を有しています。
宗教と道徳は違うよ、と思う人も多いと思いますし、私も正直そう思います。
ただ、「宗教と離れた道徳」が普通に存在している点は特筆すべきなのではないかと思っています。
海外で無宗教というと、たとえばホテルにも泊めてもらえないといった類の話を聞きますが、曰く「無宗教者は動物と同じだ(なので信用できない)」という考え方があるからだ、みたいな話を聞いたことがあります。無宗教者は野蛮である、すなわち「宗教のない所には道徳がない」と捉えていると思うと、多少の合点はいきます。
日本人の「宗教から離れた道徳」はおそらく異常なのかと思います。
昨今のニュースに思う
私は日本人の道徳意識は、美徳である部分と悲しき性(さが)の両面があると思っています。
美徳であることは言うまでもないですが、同調圧力のとかく強い国民性であるが故に「お天道様が見てる」というのはとどのつまり「世間の目が見てる」である場合が往々にしてあります(もちろん、しっかりとした道徳心に根ざしてる場合もあります)。
人と違うことをしたら責められる。悪いことしたらすぐ噂になって仲間はずれにされる。こういう意識もあろうかと思いますが、それでもなお、行動としては道徳的な行動に落ち着くのであれば社会秩序的にはよろしかろうとは思います。
ただ、昨今は少し様相が変わりつつあるように感じています。
同調圧力が良くも悪くもうまく働くのは、普通にしてたら普通に生きていける場合かなと感じています。ワーキングプアとかそういう時代あたりから、普通にしてるとジワジワと首が締められ、生活すらも困難になる。そういう中で同調圧力から抜け出そうとするのは自然かと思います。
闇バイト然り、生活が困難だからなのか、道徳心が欠如したからなのか、やはり信じがたい行動を起こす、起こさざるを得なくなった?人が増えているのば事実かと思います。
生活の困難と道徳心の欠如は、鶏と卵のようにどちらが先かわからないですが、ループして強まっていく傾向があるように思います。
一方で「成功者」と言われる人がSNSで、竹を割ったような意見と言えば聞こえはいいですが、少し「それを言っちゃお終いよ」的なことや、ルールに沿ってるならなんでもOK!と言わんばかりの、内容がたまに目につきます。こういうことも上記のループを強めることになるのかななどと思うわけです。
さらに、「無宗教の国、日本」に他国の無宗教者が溢れる懸念もあります。
移民自体の是非をここで問うわけではないですが、移民の立場に立って「自分は無宗教だけどどこの国に行くのがいいか」と思うと、無宗教に寛容な国を選ぶのではないでしょうか。そしてその「無宗教」の指す意味合いは、先ほど述べた通り乖離があると思うわけです。
日本の今後を危惧する
そうなると、おおらかに無宗教を謳っていた日本人も、内外からの変化に合わせていつか考えを改めざるを得ない時期がそう遠くない所に来てるのではないかと考えます。
オウムから続いた様々な事件も手伝い、「宗教が嫌い」という人も多いと思いますが、それ以前に「無用」だったのかと思います。「無用なのに、なんか怖い(イメージがある)」なら嫌いになるのも当然の話です。
実際に怖い宗教はあると思いますが、多くはそういうものではないと信じていますし、何より道徳心の担保を相互に示し、コミュニティを安全に保つために「宗教が必要」となる日が来てしまうのではないかと思っています。
宗教法人の所属者として
宗教であることによって、使用できる施設が制限されたり、周りから「あ、宗教ですか。(そっとじ」みたいな扱いを受けたり、不利益な点はないではないです。
そういう意味では宗教が必要な社会は歓迎すべき一面はあるのかもしれません。
ただ、やはりこの国を愛する者として「宗教は不要だ!そんなものなくても道徳心はある!」と言われて「ですよねー」と言える社会であって欲しいと切に願います。
また、我々はそういう「当然の道徳心」を養い、かつ「道徳的行動を取れる行動力」を持った人間を作ろうとしています。

にほんブログ村