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ひさびさの投稿となります。

 

本日は、先日法話で話をした内容の一部について記載します。「拳の三要」でございます。

 

 

 

拳の三要とは

今から書きます!と盛大に言っておいて申し訳ありませんが、この拳の三要というものは私も正直うまく説明できないものでございます。

 

内容はわかりやすいもののなぜ「三要」とあえてわざわざ言っているのかその真意をつかみにくいといいますか、法話・学科で伝える際の要点がイマイチわかりにくく困ってしまうというものです。

 

拳の三要は、少林寺拳法の運用方法の手順であると、私は理解しています。

 

何を言っているのか、ご説明します。

 

 

 

 

拳の三要の構成要素

拳の三要というぐらいですから三つの構成要素で成り立っています。

 

『技』と『術』と『略』の3つです。

 

「拳の三要とは何か?」と問われたら、「技・術・略です!」と回答するのが良いかと思います。

 

「技」は身体手足を使った、一定形の法則的動作と言われています。これだけ見るとなんのこっちゃですが、「突き方」とか「蹴り方」とか、要は通常の修練で「基本」として行うようなものがここに該当するのかと思っています。

 

「術」は「技の活用法」と言われています。技を効果的に組み合わせることによって、より有効に用いていこうというものです。

 

内受突という技を見てみると、相手の上段直突きに対して、足捌き・体捌きで安全かつ有利な位置取りをなしつつ、「内受」と「中段逆突」という技を有効に組み合わせて成り立っています。こういうことですね。

 

「略」とは戦略や智略のことです。術が「技を有効に働かせるためのもの」とするように、略は「技術を有効に働かせるもの」と言えるかと思います。

 

我も彼もお互い腕二本足二本という制約の中で生きている生命体です。技術のみの勝負をするならばおのずと対応できる範囲に限度があり、一対多は非常に困難と言えますが、この略を巡らすことで(うまくいけば)手を下さずとも身を護ることが可能と言われています。

 


 

 

拳の三要の順序

学科では非常に重要になるところです。

 

技・術・略には順序があります。

 

〇学ぶ順序

初歩的なものから高度なものへ、というよくあるイメージの通り、「学ぶ段階」としては技→術→略の順序で進めていきます。

 

そりゃそうですよね。突き蹴りがろくにできないのにそれを組み合わせるなんてできませんし、技術が出来ていない中で戦略も立てられません。いざという時に自分が切れるカードもないのですから。

 

〇実践する順序

実践する場合の順序は逆になります。すなわち略→術→技の順序で使用することとなります。

これは別に特殊な事ではなく、突いた後に「突き蹴りの有効な組み合わせ」を考えるというのは意味不明ですし、殴った後に戦略を立てるのはもはや面白い話になってしまいます(笑)

 

ですが、学科で問われた場合には「技・術・略」の意味と、これらの順序をきちんと押さえておく必要があります。

 

蜘蛛の巣に絡めとっていくかのように、戦略を巡らし相手をまさに「術中にはめ」、その中で自分の勝ち確なパターンに落しこんでいく。そんなイメージです。

 

このイメージによると、もはや拳技である必要もなく日常生活の中での少林寺拳法という話になってくるのかと思います。

 

 



 

略について

技・術は「技術」という言葉の通り、日常の修練で出てくるものですので、大きな疑問はないのですが、略についてはなかなか耳慣れず、また何をどう学ぶべきか非常に謎の多いところがあります。

 

略を「術の組み立て」であるからと、演武や乱捕を例とって説明をする人もいます。もちろん何の間違いもないと思います。

 

一方で教範には「略を修めた人は、千万人といえども手を下さずに威服せしめることができる」などと書かれています。この次元のものも「略」の範疇と思うと、演武・乱捕のみで終えることは許されないような気持ちになります。

 

では、私の好きな話で宗道臣(以下、開祖)の略が伺える話をご紹介します。伝聞なので信ぴょう性は知りませんし、人数等の詳細についてもかなり不確かです。ですが、略とは何かを学ぶ上で私は非常に勉強になったお話です。あえて脚色もしますので、フィクションとして読んでくだされば幸いです。

 

 

 

 

開祖の略

昔々まだ少林寺拳法がやんちゃな頃、、香川県のある田舎で、門下生数人がどこかのお店でヤンキーだかなんだかに絡まれたそうな。。。

 

ヤンキーは5人ぐらいおり多勢に無勢。一触即発な空気の中、このままではまずいと思った拳士のうち一人はお店の電話を借りてか、本山に応援を要請したそうな。。。

 

電話に出たのはなんとまぁ開祖その人。状況を聞いた開祖はこう言ったそうな。

 

「よし、相手は5人か。じゃあ30人用意するから待っとれ」

 

 

驚いたのは電話口の拳士。いくらなんでも30人は多すぎる。相手の方が多いといっても高々数人。2・3人よこしてくれればそれで済むはず。「応援呼ぶから目にもの見せてやるわ」という表情から一変。驚きの表情でこう口にします。

 

「ええ?30人は多すぎませんか?!」

 

ひよった拳士に、おそらく開祖は激しい檄を飛ばしたのでしょう。単なる飲み屋のケンカではすみそうにない。負けないように応援を呼びはしますがここまで事を大きくする気はなかった。拳士の顔はみるみる「やばい、やってしまった」という顔になります。

 

「何やあいつ、応援を呼びやがったぞ。上等やないか、何人来るんや?」とみていたかわいそうなヤンキーは、電話口の拳士を見ながら

 

「え?30人?」「え?電話しながら青ざめてる?」「え?今から何が起きるの?やばくない?」と思ったはずです。

 

まずい空気を察した彼らにそこに留まって戦う必要はありません。その場から一目散に立ち去ったそうな。。。

 

彼らの背中を見届けた拳士が「先生!あいつら帰っていきました!」と伝えたところ、電話口の開祖は

 

「だろ?」

 

と不敵な笑みで言ったそうな。。。

 

 

 

めでたしめでたし。

 

 

雑感

いかがでしょう。この話。

 

開祖がコスパを考えて「まぁ3人ぐらいでええか」と思っていたら、きっと集団乱闘になっていたのだと思います。また、到着するまでに多勢に無勢でやられていたかもしれません。

 

相手が逃げなかったとして、30人で囲めば(本当にやっちゃうかどうかは別として)負けることはないですし、30人用意すると言いながら本当に30人である必要もないのです。

 

結果として、地理的・時間的・人数的な要素を超えて勝ちを取る。こういう所に略のエッセンスがあるのではないかと考えています。

 

 

また一方で「これこそが正しい略である」などと言う気もありません。ケースバイケースで正しさは変わるでしょうし、常に千変万化しつつ最善を模索することが略なのではと思いますので。

 

とはいえ、一つの重要な事例としてこの話は私は非常に大切にしています。

 

 

長くなりましたが、以上です。

 

 

 

 

 

 

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