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先日10月1日に、2022年度の達磨祭を挙行いたしました。
達磨祭は金剛禅の祖師と位置付けている達磨大師の遺教への感謝を込めて、達磨大師の命日とされている10月5日近辺に行われる法要です。
以下、法話の内容を簡単ではありますがまとめます。
不撓不屈の精神
達磨と言えば、座禅のほか、七転八起など「不撓不屈の精神」が有名です。
不撓不屈、言葉にすれば簡単ですが、これを実践するのは難しい。
金剛禅の「修行の心得」にも『永続して行うこと』という項目がありますが、順風満帆な時に「私は少林寺拳法を続けます!」というのはある種当然なことです。
問題は「困難や挫折に直面したときにでも、なんとか続けられるかどうか」であり、これは「そういう状況になってみないとわからない」と言うのが本当のところではないでしょうか。
では、そのような状況に至らぬ今、出来ることはないのでしょうか?
心が折れない“備え”
不撓不屈を実現するために、出来ることは大きく二つあると思っています。
- 覚悟を決め、想像力を働かせて備えること
- 良き仲間を持つこと
良き仲間に恵まれるために
「一緒にいたい」と思ってもらえる自己
仲間にとって、まずは魅力的である自分であるべきだと思います。
そのためには、能力の向上や人格の向上は必要不可欠です。
打算的に映るかもしれませんが、相手から見て旨味のある自分である必要があります。そう思うことによって、自分の成長への糧にもなります。
少林寺拳法の修行の場として、うちの道院に来てくれて、でも道院の(特に道院長の)技術や人格が明らかに低かったら、どうでしょう。。。さすがに、皆様つらいのではないですか。
人に過度に干渉しない
人が寄ってきてくれたとして、では偉そうに「ああした方がいい、こうした方がいい」と上からなアドバイスをしたとしたらどうでしょう。
能力があったからと言って、いえ、能力があるからこそ、嫌な存在になりうるのではないかと思います。
相手にも思いがありこだわりがあります。困ったら相談をしてくると思い、過度なアドバイスは人が離れる要因になるのではと、過去の経験から思います。
ましてや「アドバイスしてやってる」という思いは透けて見えます。教え魔はよくない、というものです。
うちの団体は技芸教授業ではありませんので、過度に「教える教わる」の関係にならず、みんなで修行し、相談に乗り合う形が良いのだと思います。
自己確立・自他共楽
色々と言いましたが、結局のところは、しっかりとした自分を作り(自己確立)、相手を尊重した人生を歩む(自他共楽)ということに他なりません。
まずはこの道院の環境を整え、良き仲間として支え合えるように、そして道院のメンバーが、道院外の各々の生活環境の中で良い影響を与えられる人となるように、これからもみんなで頑張っていきましょう!
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