松戸上本郷道院のブログへようこそ


直接的には少林寺拳法に関係ありませんが、先日の法話の内容です。個人的な戒めとして、常に心の片隅に置いている話でもあります。



昔、英語を習い始めた頃に、、、

英語では一月をJanuary、二月をFebruary、三月をMarchと書きますよね。


私はこれを覚えるのが苦手でした。


January、August、など単語を覚えても、今度順番を間違えたりする。


『なんで日本語みたいに数字を振らないんだろう。そっちの方が絶対にわかりやすいのに。』


と、疑問も抱きました。



良かれと思ってのアドバイス

別に誰に言うわけでもないのですが、この「月は順番で並んでるものだし、日本語みたいに数字で名付けた方がいいんじゃない?」というアドバイス?提案?思い?は、自分の中では全く悪意のあるものではなく、素朴な思いからでした。


大人になって言葉を覚えてくると(文化とかそういうものへの配慮は置いておいて)「合理的」と言うんでしょうか。


読んでくださってる方も、ぜひこの提案をした側の気持ちを想像してみてください。単純に「こっちの方がわかりやすいと思うよ?」という、良かれと思った気持ちです。



余談ですが、今でも私は月は数字のほうがわかりやすいとは思ってます。日本語にも睦月・如月・弥生と言った言い方はありますが。




曜日の話

話を月の話から曜日の話に移します。


日本語ではもちろん日月火水木金土です。


中国語で、曜日はなんて言うか知ってますか?


実は(と言うほどでもありませんが)中国語では数字で表してるんです!(日曜日は例外ですが)




さて、ここで立場が替わるわけです。


中国人に「曜日が月火水木ってわかりにくくない?数字のほうがわかりやすいよ!」と、言われたとします。どう思いますか?


本当に、心から、(変えられるかどうか別として)「アドバイスありがとう。確かにそっちの方が合理的だね」って思えますか??


私は、別にアドバイスを受けたわけではないですが、そういう状況を想定した時に、正直「大きなお世話だ」と思ってしまいました(^_^;)


月と曜日、言ったらことは全く同じですが、何故なんでしょう。



アドバイスをする/される

この話を通して私が言いたいのは、決して月や曜日を数字で記載することの是非ではなく、私自身が「これは気をつけなければならない」と思ったということです。


私たちは、道院で、会社で、日常生活で、多くの人と関わり、その中で当然にいろんなアドバイスのやりとりを行います。


(数字がわかりやすいよね、という)同じスタンスの人でも、アドバイスする側とされる側では、少なくとも私の受け取った感覚は全く異なるものでした。


大きなお世話だ!と、思ってしまった言葉も実は誠意からの言葉かもしれないし、自分が良かれと思って行ったアドバイスでも相手が大きなお世話と思っていることもある。


程度の低い人になると「何度言っても変わらない!腹が立つ!」なんて言いだす人もいます


私たちの組織は、隠し立てなく後進に技法や教えを伝える文化は良い文化なのですが、いわゆる教え魔と呼ばれる方も多くいるのが現実です。


アドバイスする時、された時に、この月と曜日の話を思い出して、自分と反対の立場の相手の気持ちを想像しつつ接するよう心がけたいなと、自戒の如く思った次第です。



「人間は半分は感情の動物である」とは、少林寺拳法開祖、宗道臣の言葉ですが、本当におっしゃる通りですね🙏




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