松戸上本郷道院のブログへようこそ。




本日2021年度上半期の入門式を執り行いました。



式の後、代表門下生曰く

「最初は読み上げるのもすごく緊張してたんですけど道院長が、、、」


私(お、これは「道院長が暖かく見守ってくれてたんで安心して読み上げられました!😊」とかいう流れかな)


代表「道院長が私よりも噛みまくってたんで安心しました!^ ^」





ちょwww😭



まぁやり遂げてくれて良かったです😅


門下生に向けて


無敵の人』という言葉をご存知でしょうか?


『無敵』には「最強」みたいなポジティブな響きがありますが、決してそうではありません。


先日、京王線で「人を殺して死刑になりたかった」と言い、多くの被害を出して捕まった人がいますが、まさにそのような人のことで「何も失うものがなく自暴自棄になってる人」のことを指します。


法治国家においては、何か罪を犯したら法で裁かれて罰せられます。単なる法的な罰に留まらず、社会的な信用を失ったり身近な人が離れていくなど大きな代償を払わされることになります。


人間ですから、腹が立ったら殴りたくもなるでしょうし、物が欲しかったら「盗みたい」なんて気持ちが湧くこともあるでしょう。ですが、上記のようなデメリットと天秤にかけた結果、そんなバカなことはやめておこうと思いとどまるのかと思います。


ところが、身近に大切に思える人がいなかったり、元々社会的な信用もなかったり、罰せられることに全く躊躇がない場合どうでしょう。理性が働かない場合はおろか、理性的に天秤にかけた所で「失うものは何もないのだから、好き勝手にやってしまえ」となりうる。


まさに無敵です。罰が罰として機能しないのですから。



ですが、これ以上なく寂しい人でもあります。


社会的信用もなく、身近に大切な人も、大切に思ってくれる人もいないそんな状態、とても幸せとは言い難い。



もしかしたら「大切な人」や「社会的しがらみ」は、失ったら困るものということで一義的には自分の『弱点』なのかもしれません。ですが、弱点以上の幸福も必ずもたらしてくれます。


入門したみんなは、少なくともこの道院ないし道院の仲間との縁を自分の意思で築きました。これから、長い修行を通してこれらの縁はより強く、より広がっていきます。こういう価値に気づきながら修行を重ねていけば、道院という枠に納まらず縁は広がっていくはずです。


縁でがんじがらめになると、もしかしたら窮屈に感じる時もあるかもしれません。ですがそこから逃げては人間としての真の幸福はないのではないかと私は考えます。


「無敵の人」は私たちの求める「自己確立」「自他共楽」の真逆を行く人たちです。今回の痛ましい事件を胸に、そうはならないようにみんなで今日から、ここから、頑張っていきましょう!





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