本日は開祖と金剛禅について、お話をしました。

開祖、宗道臣

少林寺拳法は、宗道臣(そう どうしん)と言う日本人によって1947年に作られた宗門の行です。

名前が日本人離れしていますが、これは改名によるもので、れっきとした日本人です。

1911年〜1980年までご存命でしたので明治から昭和という時代を生きられました。戦争も体験し、その体験が少林寺拳法のコアに繋がります。

1911年生まれて1947年に少林寺拳法ができた、と言うことは、少林寺拳法を36歳で作り上げてるわけです。恐ろしい話ですね。。。



金剛禅と少林寺拳法の関係

「少林寺拳法のうち、教えの部分が「金剛禅」である」という勘違いをされてるケースをたまに見かけます。


これは誤解でして、


「金剛禅という体系があり、そのうちの修行法として少林寺拳法(易筋行)がある」ということです。


金剛禅の中に少林寺拳法があるんです。


「え?じゃあ少林寺拳法以外の金剛禅の修行法って何かあるの?」と思うかもしれませんが、例えば反省行・感謝行・持戒行などがあります。托鉢行なんてのもあります。





金剛禅が金剛禅たるためには

金剛禅は人づくりによる国づくりを求めるものです。


日々の修行で殴る蹴るを練習するだけでなく、いかにそれを社会に活かしていくかを考えないことには、金剛禅とは言い難いものになります。



どのような人間になるべきか、開祖の志をまずはしっかり受け取ることが大切です。


開祖の志を知るには、開祖語録や教範を読むことが必須です。


まずは、日々の生活の中で「自分の幸せと他人の幸せ」を両方考えられるように努力し、それとともに開祖語録や教範で開祖の志をインプットし、次第に知識が増えてきたら「開祖であればどうしたであろうか」を考えることが肝要かと思っています。




開祖語録や教範知識で足りないもの

開祖語録や教範は大切ですが、万能ではありません。


なぜなら、書かれた時代が違うからです。


根っこは「普遍的な教え」ではありますが、語録や教範で取り上げている事例は全てその時代の事例に過ぎません。


現代の課題は、今、この時代に生きる人間が考えて取り組まなければならないのです。


また「なぜそんなに開祖リスペクト?」とも思われるかもしれません。


私に言わせれば「単純に、自分もそうありたい、と思える優れた人だったから」ということです。尊敬してると言うことですね。


殴る蹴るだけの人ならそうはなってなかったと思います。


門下生の皆様も、まずは開祖語録に触れてもらい、よく吟味した上で開祖の志を継いでもらえればと思っています。




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