先日の練習時の法話でこんな話をしました。
少林寺拳法では、他武道でよく使う「型」という言葉は使わず「法形」と言います。
開祖曰く「『型』とは鋳型の型であり、変わらないもの。『形』は状況により変わりうる。しかし何でもかんでも変わるのでなく一定の原理原則(法)に則って変わるのであるから、『法形』というのである」
こんな内容だったと思います。勘違いあればご指摘ください。
変わる?変わらない?変わるけど原理原則から外れない?
むむ?難解な気配ですね。
先日は「流れるプールの形」を例にして説明してみました。わかりやすかったかはわかりませんが(^_^;)
「流れるプールの形」って、まずは想像するのはプールのコースの形です。あそこで右に曲がってあそこで左に曲がる。もちろんコースは日によって変化したりしない。これが『型』の例。
では、そのプールに流れる水は?
コースのガイドラインに従い、ある水はインコースで流れ、またある水はアウトコースを流れ、上層や下層の違いもあるでしょう。「型」の中とはいえ、その内実はさまざまな変化や個別性がある。これが「形」の例。
このようにして、水は捉え所なくいろんなルートを辿るように見えますが、それでもコースからは外れない。また大量の水を大枠で見ればコースの形と一致する。これが『法形』ということになろうかと思います。
技術に置き換えれば、動き方とかはある程度決められてますが(『型』の世界)、相対する相手によって少なくとも間合いや拍子は異なってくる。これが『法形』の世界ということです。
技は有るようで無く、無いようで有る。とおっしゃった先生がいました。
技の断片を追おうとすると技ができず、かと言ってなんでも良いのかと適当にやると技が崩壊する。不思議なものですね。
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