本日の法話の内容は「『行』と道院について」でした。
少林寺拳法は武道であり、護身術であり、スポーツであり、健康体操であり、、、その本質は心身を鍛え社会に役立つ人間を作るための宗門の「行」です。
では、行とはなんなのか。
少林寺拳法の創始者、宗道臣(開祖)は、「行」の説明として、漢字の見た目からわかりやすく「力のあるもの同士が、弱者をおぶって、向き合ってお辞儀してる姿」と説明しました(画像)
我々は全員が主役であり修行対象者です。道院として一部の選手を作るために他の人が補佐役に徹することなどもしません。
言い方を変えれば、トップでバリバリ練習したい人には物足りない環境なのかもしれません。でもそれで良いのです。
道院という場として、トップを張れる人(以下、強者)が、自分の練習もしながらも、小学生や高齢者・初心者などを気にかけ、教えるという板ばさみという制約を受けてもらいます。「己だけ」ではないのです。
また、気にかけてもらう側は、当然に感謝の念を抱くとともに、強者の成長にいち早く貢献できるようにと己を磨く。借りを作りながらも成長し、成長したら強者に貢献するだけでなく、自分よりも弱いものを今度は背負う番になる。
こういう「上と下」の相互関係の中で修行し、上には感謝を、下にはその責任を果たしながら相互に感謝・敬意を払うのが行としての修行のあり方です。少なくとも「枠に限りのある代表に選ばれるために他を蹴落とす」ような在り方は、たとえ練習効率を多少犠牲にしようとも、志向していないのです。
人間だれしも生まれたては無力で、死ぬ間際もまた無力です。であれば、支えたり支えられながら生きていることを真に理解し、自己の充実と、豊かな人間関係を構築できる人間になれるよう今後も修行に励みたいと思います。

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