突然ですが、お説教されるのって好きですか?
どんなに自分のタメになる話でも、お説教はだいたいみんな嫌いですよね。
でも、子育てにしても「よくなって欲しい!変わって欲しい!」って言う時、やはりお説教しちゃうと思うんです。
まぁ、よほどうまくやらない限り、だいたい伝わらずに溝ができますよね。
少林寺拳法も、拳法としての体を成す前、同じ失敗をしたようです。
人づくりがしたい!と、人生を諭して回って無視される。そんな空回りな時期。笑
子育て中の親御さんも、どうしたら子どもが自分の言うこと聞いてくれるか、色々作戦を考えるかと思います。少林寺拳法も考えました。
せや、エサで釣ろう(言葉悪いけど)
当時は治安が悪かったので、お小言は嫌でも拳法の技術は魅力があった。
「ケンカの仕方を教えてやる(エサ)」と言って人を集めて、ニーズに応えた上で、「力だけではダメだ!」と教えを伝えた(目的達成)。それが少林寺拳法です。
「技術」と「教え」があるけど、教えこそが本質なんです。
ただ、教えばかり達者な口先人間ばかりを育てては、「良い人づくり」とは言い難く、技術(強さ)による裏付けも重要です。結果として教え・技術ともに大切という今の形になってます。
空手とかと何が違うの?と言われると、まずはこの開創動機の違いが挙げられるのではないでしょうか。
今となっては他の武道も精神教育を重視しており、違いが見えづらいですよね。ですが「何のために作られた物なのか」は大きな違いかと思います。拳法自体はエサなんです。なかなか他ではここまで言わないですよね。
暴論ではありますが↓
うどん・そうめん・ひやむぎの違いは太さだけ!
100メートル走、400メートル走、フルマラソンは距離が違うだけ!
それでも食感は全然違うし、必要な身体能力も全然異なる。結果として他のメニューだし他の種目です。そう言うもんなんだと思います。
※本部の公式見解でなく、あくまで私個人の見解です

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