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少林寺拳法における「気をつけ」にあたる『結手』ですね。合掌礼と同じく「礼式であり構え」であるものです。
今日は私のこだわりをつらつらと書きたいと思います。
結手の意味(礼式)
右手の拳を左手で覆うことによって「争う意志がない」意思表示をしていると習いました。
いやいやそんな。
とも思いましたがら拳が刀だと思えば、納刀されてるのか抜き身なのかは大きな違いですよね。
極端ですがそう思って可能な限り拳が見えないようにしています。
よく拳が見えてる結手を見かけますが、まぁ人がやってる分にはどんなのでも気にはならないですね。自分のことをしっかりと。
「自分のことを」と言う話とは逆行しますが、左利きの人はどうなんでしょう?それは「礼式」という意味合いが勝り、組織として揃えておくべきだという力学が働き「左利きでも右手の拳を覆う」となってるようですね。これは半跏趺坐(安座)において左足を上にするのと同じ話です。
構えとして
構えとしての結手構は個人的に難解です。顔も喉も守ってませんので。
手の位置
とはいえ、結手は丹田(気海)の前に位置させて守り、肘から手首までは前三枚を守る形を意識しています。一字構を体に密着させた形といえば良いのでしょうか。
やや遠間から、蹴りが飛んでくるのに備えてるとイメージすると良いのかもしれません。遠間だと中段を守り、近間に来たら挨拶するふりして合掌礼をして上段を守る、なーんて考えると楽しいですね。
お腹との隙間
結手の手は一字構えのように手首を返して、親指とお腹に隙間ができないようにします。これは、先ほどの「遠間で」と言う話と速攻で矛盾しますが、手首を掴まれないように、掴まれたとしても守れるように、という処置です。
膝の形
膝は「くの字立ち」にします。
あからさまな「く」に曲がるのではなく、膝をピンと伸ばした直立不動は避ける程度にしています。むしろ曲げすぎると良くない。
直立不動では、膝の力を抜いても膝がつっかえ棒のようになって動けないですし、過度に膝を曲げてると、膝の力を抜いた際に高さがなく「落ちる力」の最善活用ができないからです。
つまり「もっとも動きやすい」というのが自分の中での最重要要件です。
その他
動かない
これは自分がなぜこだわってるのか、その根拠やルーツがわからないのですが「結手の時は動かない」ということを意識してます。
結手しながら歩くとめちゃくちゃ気持ち悪い。
また、着座や立ち上がるなどの時にも、動く際には「結手を解いて」動く。結手を『解く』という言葉が自分の中で出てくるぐらい自然にこだわっています。
結手印として
これもどこに根拠があるのかわかりませんし、エビデンスも自信がないのですが、結手は「印」でもございます。
結手の形という話なのか、印という意味なのか不明ですが、私は「親指の腹を合わせる」ということをしています。これは門下生にも特段強要する物ではなく、単なる私の思いです。
合掌礼への移行
結手から合掌礼に移行する際の動きにも個人的なこだわりがあります。
「手を離さない」ということに尽きますが、上手いことやると手を離さずに滑らかに合掌礼に移行できます。
「正中線を晒さない武的な要素として」と言えば構えとしての意識になるかもしれませんが、さすがにちょっと無理もあるよなとも思います笑
他にも思い出せば色々あると思うのですが、大体大まかにはこんな感じです。
みなさんは何かこだわりはありますか?
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