少林寺拳法には、前受身、後受身、大車輪、横転より起き上がりの、四種類の受身があり、
(教範には、「とんぼ返り」も記載されている)
稽古の度に、基本修練の中で毎回、四種類とも練習している。
にもかかわらず、受身は気づくと自己流に崩れやすいので(例=前受身が、横ゴロゴロ受身に劣化する……)、我孫子道院では、定期的に集中稽古を行って、矯正しています。
柔道や合気道の受身と違って、少林寺拳法の受身は、畳ではなく、板の間でやるのが基本!
(我孫子道院では、新入門者はマットを使って受身の練習を行います)
でも、受身の集中稽古の際は、有段者から白帯まで、全員マットを使って修練します。
その代り、各自のレベルに合わせて、マットに胴を置いたり、キックミットを置いたり、ぞうきんを置いたりして、障害物を越える形で、前受身を行ってもらいます。
(胴、キックミット、ぞうきんなどを越えることで、横方向に崩れるのを補正するのが目的)
(自称 上級者は胴&ミット越えにチャレンジ! この子は上半身と下半身がねじれているので×だけど……(笑))
練習だから失敗してもいいんです。
失敗したら、障害物がひとつ小さいマットに移動して、そこで上手く受身が取れたら、もう一段障害物が大きいマットに移動して再チャレンジすればいいんですから。
ワタシは、せっかく少林寺拳法を学んでいる以上、この受身だけは、みんなに上達してもらいたいと思っています。
六百数十もあると言われる少林寺拳法の技法の中で、おそらく一番日常生活で役に立つワザは、この受身でしょう。
歩いているとき、走っているときに躓いて転ぶ。
あるいは自転車やバイク、スキー、スノーボードで転ぶ。
歳をとって、段差に躓いて下手に転倒すると、それが原因で寝たきりなんていうことも、決して珍しくはありません。
そうしたとき、この受身さえ身につけていれば、ダメージが最小限で済むようになります。
そして、なにより、人生に躓いた時も、受身は役に立ちます。
少林寺拳法に限らず、武道の稽古は受身からはじまります。
受身とは、相手に倒されたとき、投げられたときに初めて必要になるわけで、
いわば負け方の訓練です。
ボクシングで、ダウンの仕方を練習する人はいないでしょうし、レスリングでも、フォールのされ方を習うことはないでしょう。
しかし、武道は受身から修行がはじまる。
これは、武道・武術の先人たちが、何人たりとも、勝ち続けることはできない、という現実を知り尽くしていたからではなかろうか。
自分の腕が未熟であるがゆえに倒されるときもあるだろうし、
ときには思わぬ嵌め手で、倒されることもある。
だからといって、倒れたから負けではない。
倒されたら、受身をとって、立ち上がる。
とくに少林寺拳法の受身は、柔道のように腕や足で床を打ったりしないで、転がったら、そのまま立ち上がるのが特徴。
おまけに、立ち上がったら、すぐさま払い受け等を行い、さらには上中二連突き+蹴り等の連反攻まで行って、それから残心をするところまで含めて、受身にしている。
人生も同じ、倒れたら負け、失敗したら終わりじゃない。
倒れても、失敗しても、そこから受身をとって、ダメージを往なし、すぐさま立ち上がって、連反攻まで持っていく。
七転び八起きの達磨の精神にもつながっていくわけです。
開祖の「勝たなくてもいい、だが絶対に負けるな」という教えも、
「人生、勝ちっぱなしではいられない。だから負けシロの確保を意識しておけよ」という意味もあったと思います。
というわけで、人生に負けないためにも、受身は早く一人前になろうね
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『108』
◆オマケ◆
相田みつをの作品に、「負ける練習」と題した、柔道の受身をテーマにした詩(?)があるそうです……