久しぶりの更新にもかかわらず、いきなり「ケツ」などというお下品なフレーズがタイトルになっていて、誠に申し訳ございません
平素、理性と知性と品性を売り物にしているワタシの口から(指先から?)、こんな言葉が飛び出てきて、ショックを受けたり、「9月に一体何があったんだ」と心配してくださる方もおられるでしょうが、ワタシの身辺は何も変わっていないので、どうぞご安心ください……
で、「ケツ」の話なんですが、
福島第一原発についての東京電力の対応をはじめ、五輪招致での安倍総理の無根拠、ノー天気な発言、そしてJR北海道など相次いで露呈する日本の企業不祥事、さらにはもっと身近なワタシが日々仕事等で接している人々(こちらはごく一部ですが)を見て、
思わず
「日本人のケツは、どこに行ってしまったのだ!」
と“大声を大”にして叫びたくなってしまったわけです
もう、お分かりのことと思いますが、
ワタシが先ほど来叫んでいる「ケツ」とは、解剖学的な意味での臀部ではなく、
「肚」(ハラ)や、「肝」(キモ)、「骨」(コツ)、「筋」(すじ)、「腸」(はらわた)、「身」(み)、「腰」(こし)、「懐」(ふところ)、etc.と並ぶ、「身言葉」あるいは「からだことば」としての「ケツ」のことです
(東京堂出版の「からだことば辞典」には、日本語のはこうした「身言葉」が6000語以上も収録されている!!)
「ケツ」=尻に限って見てみても
※以上、Wikipediaより引用 (「尻」は「しり」と読む場合もある)
といった言葉がある
この他にもモーターレーシングの世界では、「ケツ(テール)が流れる」、「ケツ(テール)をつつく」などという用法もあるが、
ともかく、当今、「ケツの穴が小さいヤツ」が多すぎる
なんで、自分の責任でOKを出したり、GOサインを出したり、といったことができないんだろうか?
リーダーや責任者は言うまでもなく、
「自分のケツは自分で拭く」のが大人の条件だと思うのだが、いかがだろうか
「前からこうだった」「前任者から引き継いだだけ」「ワタシのせいじゃない」などと、問題をそのまま先送りして、自分の任期さえ波風立たずにまっとうできれば、それでよし、
という姿勢も「ケツがある」とはとうて言い難い
また、時代の変化や危機に際して、なんやかんやと新しい試みや、対策を講じて行くのもリーダーの仕事だが、それらも責任の所在をあいまいにするのはもってのほか
二言目には
政府の責任で……
組織の責任で……
政府ってダレ? 会社って誰? 組織って誰?????
「自分がやる」、「自分がやめさせる」、「自分がここで正す」
そう言い切れなければ、リーダーの資格はない
状況を詳細に分析し、熟慮を重ねた上で、何か新しいことをやってみるのはけっこうなこと
しかし、途中でミスリードだったと気づいたら、
いち早く撤回、撤収、Uターンの決断を表明することも「ケツを拭く」ことに他ならない
(何ごとも「GO」の決断を出すのは比較的容易であり、肝心なのは「撤退時期」を見誤らず、手遅れになる前に、というより余人に先んじてミスに気づき、「撤収」の号令をかけられるかどうかが、凡庸なリーダーと優秀なリーダーの違いといえる)
これ以上、日本と日本人の質が低下してしまわないよう、「ケツ」を意識し、まず一人ひとりが「ケツ」を取り戻そうではありませんか
あ、そうそう大事な話が抜けていました
この「ケツ」の話が、少林寺拳法とどう関係があるかですが、
少林寺拳法は「護身練胆」健康増進」「精神修養」の三徳を兼備した身心一如の修行法です
このうち「練胆」とは、「胆力を練ること」、つまり「肚(ハラ)を鍛える」ことです
そして、「肚」=下丹田(臍下丹田)を練るには、その下部構造である「ケツ」がなくては話しになりません!
しかるがゆえに、脚下照顧ならぬ「尻下照顧」で、、「ケツ」を見直して日々の修行に取り組みましょう
※「ケツ」「ケツ」と、「ケツ」を連呼してスミマセンでした。 ケツ手(結手) 再拝
本日の「身体の知能指数」 (PQ=physical quotient) 『101』